財務省・佐藤慎一主税局長の蹉跌(中)
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佐藤慎一氏は、大阪の天王寺高校を経て東大経済学部を卒業し、1980年に旧大蔵省に入省。東大法学部卒が圧倒的に多い財務省のなかでは、ややランクの下の経済学部卒。エース級が送り込まれる予算編成を受け持つ主計局ではなく、どちらかというと税制などを担う主税局畑が長い。
そもそも80年入省組でトップだったのは、稲垣光隆氏(旭丘高校卒、東大法)だった。国家公務員上級職員と同時に司法試験も合格している秀才で、入省間もない頃から将来の次官候補と目され、当時、同省内の実力者だった斎藤次郎氏(元事務次官、後に日本郵政社長)の娘と見合い結婚している。
ただ、このことにより「斎藤氏に近い=小沢一郎に近い」と勘繰られやすくなり、小沢憎しで凝り固まっていた自民党有力者の間に忌避する空気が広がった。最後は国税庁長官まで上り詰めたが事務次官にはなれず、その後、TMI法律事務所に顧問として転出している。
80年入省組のナンバーツーは林信光氏(洛星高校卒、東大法)だった。林氏は英語がネイティブ並みに流暢で、若くして国際通貨基金(IMF)に出向し、福田康夫首相秘書官も務めた。しかし、彼も国税庁長官までで次官にはなれず、岩田合同法律事務所顧問に転身している。ナンバーワンとツーが退き、寺田稔(自民党)、後藤茂之(同)、岸本周平(民主党)ら国政転身組も相次いだため、23人いる80年入省組で相対的に浮上したのが、それまで下馬評にはまったく上がったことのなかった佐藤氏だった。
1つ上の79年入省組は、極めて異例だが、香川俊介、木下康司、田中一穂と同期3人が連続で事務次官に就任しているため、本来ならば若返りを考えて80年入省組の次官就任は、飛ばされても不思議ではない。しかも佐藤氏の同期には、『さらば財務省!』を執筆し、古巣の財務省批判を繰り広げている嘉悦大の高橋洋一教授もいるため、「高橋のような男を生んだ80年入省組は〝連帯責任〟をとって、次官就任を控えさせるべきだ」(同省OB)という意見も一部にはある。
しかし、今のところ80年入省組で省内に残るのは佐藤氏しかおらず、次官になれるのはほぼ確実視されてきた。もともと佐藤氏は「これと言って個性のない男だが、爺殺しではある。有力者の懐に飛び込むのはうまい」(同省OB)と言われる。そこで得意の爺殺し作戦を使って、まず口説き落としたのが自民党税調の野田毅会長だったのだろう。
(つづく)
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