2024年12月23日( 月 )

新たな飛躍「ソフトバンク2.0」の高みを目指す孫正義(1)

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 九州が生んだ稀代の経営者、孫正義社長が率いるソフトバンクは2015年、新たな”ステージ”に到達した。自ら「ソフトバンク2.0」を唱え、これまでとは一線を画すと表明。初めて後継者に言及し、インド出身のニケシュ・アローラ氏を165億円という破格の高額報酬で招いた。新生ソフトバンクは、どこへ向かうのか――。

softbank2 米国、インド、欧州と世界を駆けめぐる孫正義に、この1年余“近習”として常に寄り添うのがニケシュ・アローラ氏である。

 アローラ氏は、インドの空軍将校の家に生まれ、バナーラス・ヒンドゥー大(現インド工科大)で電気工学を修めた。ちょうどコンピューターの黎明期にあたり、孫氏と同じように最初期のパソコンの魅力に取りつかれた世代だ。「インドの国家試験で首席だった」と言われるほどの秀才で、同大卒業後、父から借りた3,000ドルと2つのバッグを持って渡米し、ボストンカレッジに入学。卒業後、米国の資産運用会社のフィデリティー・インベストメントやパットナム・インベストメントで通信業界専門のアナリストとして社会人のスタートを切った。

 こうした経歴からわかるように、テクノロジーと金融に強いことが彼の武器になる。その後、アナリストとして分析対象だった通信会社のドイツテレコムに入り、さらに一時、孫氏が買収にご執心だった全米第4位の携帯通信会社TモバイルUS(ドイツテレコムの傘下)の欧州子会社に転籍。営業面のトップであるチーフ・マーケティング・オフィサーにまで上りつめた。

 この頃からアローラ氏は、テクノロジーと金融に加えて、マネジメントの才も発揮したようだ。いったん仲間たちとベンチャー企業Tモーションを創業しCEOに就いた後、グーグルに転じ、セールス部門から歩み始めて、ついにはラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン両氏という2人の創業者とエリック・シュミットCEOに次ぐ第4位の地位「最高事業責任者」にまで上りつめた。グーグル最後の2014年の年収が50億~60億円と言われ、彼がいかにシリコンバレーで頭角を現したかが、うかがい知れよう。

 このアローラ氏を三顧の礼で招いた孫氏は、「テクノロジー、ファイナンス、マネジメントの3点がわかるところがニケシュの魅力」と言ってはばからない。今やテクノロジーとファイナンスは、洋の東西を問わず一線経営者の必須事項、「それが、わからないとダメなんだよ」と孫氏は言う。
 しかし、アローラ氏からすると、ソフトバンクという企業はどうやら子どもっぽい幼稚な組織に映ったようだ。立志伝中の経営者である孫氏という個人の力に負う面が大きく、NTTドコモやauをしのぐ大企業になったとはいえども、組織としては脆弱だからだ。ソフトバンクは、組織で動くというよりも、孫氏の個人的な”ひらめき”や”勘”に頼る部分が大きいのだ。

 しかも、ソフトバンクの出自は、パソコン雑誌などの出版とパソコンソフトの流通業という国内産業であるうえ、その後、買収して組み入れた旧日本テレコムや旧ボーダフォンも、日本国内が事業基盤の国内ビジネスである。インドの高校生以上は英語を解するのは当たり前と言われ、それだけにアローラ氏は赴任当初、「日本はこんなに文明国なのに、みんな、こんなにも英語を解さないのか」と驚いたと言われる。

 アローラ氏が、ソフトバンクの各部門や傘下のヤフーの事業部門からヒアリングをしていくと、ますますその思いを強くしたらしい。アローラ氏から面談を受けた中堅幹部は言う。

 「どういう事業展開をしているのか聞かれたのですが、私が通訳を介して説明するのを、すごくイライラしたようで聞いていました。『シリコンバレーではこういう事例もあるよ』『あなたとは別のやり方で成功したケースもある』などと他のオプションをいくつも示されて、そして最後にはこう言われました。『どの選択肢を選ぶかはキミに任せる』と」。だが、そのあとでこう釘を刺されたという。「うまくいかなかった場合はもちろんキミに責任をとってもらうからね」――。

 こうした”人事権”を振りかざすような、威圧的にも受け取られかねない対応に、多くの日本人幹部は慣れていない。しかも、そもそも通訳を通じて英語でコミュニケーションをしなければならないのが煩わしい。
 グローバル・スタンダードに立つアローラ氏は、こうした日本人幹部のある種のふがいなさ、力不足を感知したからだろう。自身の周辺をさっそく、同じような外国人エリートたちで固め始めている。1人がリンクドインやグーグルに在籍していたディープ・リシャール氏、モルガン・スタンレーで活躍し、投資ファンドのベア・キャピタル・パートナーズの共同創業者に転身していたアロック・サーマ氏、あるいはドイツ銀行の債券部門のヘッドだったラジーブ・ミスラ氏……。彼らはいずれもインド系だ。彼らインド出身のビジネスエリートら通称「ニケシュ・チーム」と呼ばれる外国人部隊は、もはや20人近くにもなる。東京・汐留のソフトバンク本社には、浅黒い肌をしたインド系とみられる若者たちが昼食時、レストラン街をうろうろしている光景がしばしば目撃されるようになった。

(つづく)
【尾山 大将】

 
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