2024年11月18日( 月 )

朝鮮日報の宋煕永主筆「韓国の危機」に警鐘を鳴らす(前)

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 宋煕永(ソン・ヒヨン)という韓国人ジャーナリストを紹介したい。全羅南道生まれ、ソウル大学卒の62歳。韓国を代表する新聞「朝鮮日報」の主筆である。「主筆」という職責は、新聞社における編集・論説の最高責任者である。経済記者として、韓国ナンバーワンの評価が高い。宋氏は、同紙東京特派員の経験者でもある。毎日新聞ソウル特派員だった僕は、個人的にも親近感を抱いて来た。
 その彼が昨年12月19日に書いたコラムを読んで、僕は仰天した。

87年体制から30年、終わりつつある韓国

clock 「産業化時代、民主化時代の同時終末」。これがコラムのタイトルだ。仰天したのは、「韓国が終わりつつある」というコラムだったからだ(笑)。
 キーワードは「87年体制」だ。「限界に来た87年体制を捨てて、制度や意識を改変する時期に来た」というのが、危機感に満ちた彼のコラムの要旨だ。

 1987年。この年に韓国では何があったか――。全斗煥政権の末期、盧泰愚(ノ・テウ)氏(次期大統領に就任)による「民主化宣言」(6・29宣言)があった年で、韓国社会の本格的な民主化と好景気が始まった年だ。当時の模様を、宋氏はこう描写する。

 「1986年11.2%、1987年12.5%、1988年(ソウル五輪の年)11.9%と成長した。国際収支は史上初めて連続で黒字を記録し、すべての韓国国民が万歳を叫んだ」「高度成長のパーティーが最盛期を迎えた頃、民主化運動が勃発した。1987年6月抗争と呼ばれた民主化運動は、大学キャンパスと都心の街通りを席巻した」。

 コラムの核心は、その後の記述だ。宋氏はこう書いていた。

 「それから30年が経った。ひとつの世代が退き、次の世代が、国の中心に座った。しかし成長率は2%台に留まった。川の水が山に逆流する。そんな気持ちを感じざるを得ない」。

 「大韓民国は、産業化と民主化を同時に成し遂げた国だ、という自負心がすごかった。むなしい自画自賛である。私たちが達成した産業化は、せいぜい靴・繊維などの軽工業、いくつかの半導体・自動車・造船・電子などの重化学工業に過ぎなかった。金融や人工頭脳、サービス業種では、世界的な競争力を持つ企業がひとつもない」。

 「民主化自慢も、照れくささ極まりない誇張である。民主化以降、国民は自分の代わりに権力を行使するよう、国会に力を与えた。しかし、30年後の今日、どうなのか。権力を委任された代理人は、自ら権力者として君臨している」。

産業化時代の閉幕とともに民主化の時代も限界点に

 保守紙らしく、労働界への視点は厳しい。

 「1970年秋、東大門平和市場で全泰壹(焼身自殺した労働者)は、『私は機械ではない』と叫んだ。しかし、彼の精神を受け継いだという民主労総は、都心を混乱させる暴力デモの常連になった。民主労総は、給料が多く福利厚生が分厚い正規職の集まりである。民主化闘争の結果として誕生した労組は、30年の間に既得権勢力になってしまった」。

 大手紙主筆のコラムとしては、日本では見られないほどパセティックな(激情的な、悲愴な)表現であることに驚かざるを得ない。宋氏が好んで多用する表現でもない。彼の文章は、その人柄にも似て穏健である。それが僕の先入観であったから、かなり驚いた。
 コラムの結論部分は、こうだ。

 「産業化時代の閉幕とともに民主化の時代も限界点に達した。『1987年体制』を廃棄し、新しいシステムを作らなければ、これ以上の経済成長も望めない。民主化の嫡子を装う労働界や、市民団体も無茶な闘争に執着している」。

 宋氏が抱く危機感とは裏腹に、現時代への提言はいささか具体性に欠けるのが、このコラムの弱みだ。しかし、「朝鮮日報の主筆がここまで書く」のかという韓国の現状に、韓国観察者としての僕は驚かざるを得なかった。

(つづく)

<プロフィール>
shimokawa下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授を歴任。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授(マスメディア論、現代韓国論)。
メールアドレス:simokawa@cba.att.ne.jp

 
(後)

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