2024年11月24日( 日 )

地域で重度な要介護者を見守れるの?(後)

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大さんのシニアリポート第40回

『さぁ、言ぉう』(「さわやか福祉財団」機関誌)<

『さぁ、言ぉう』(「さわやか福祉財団」機関誌)

 2月初旬に、「地域包括ケアシステム」の「市民フォーラム」が開かれる。主催は社協だが、実質的には市の高齢者支援課を、「さわやか福祉財団」(堀田力会長)がバックアップする。わたしも「さわやか」の個人パートナーとして協力を確約している。そのフォーラム自体に問題が存在するとわたしは感じている。「地域包括ケアシステム」の実質稼働は、どうしても行政主導にならざるを得ない。「市民フォーラム」に参加する人たちの多くは福祉関係者だ。つまり、稼働する側の人たちである。中身を熟知している人たちが多い。いきおい、「生活支援コーディネーター養成講座」的な内容になりがちである。大切なことは、「ぐるり」に来る高齢者、つまりそれを利用し参加する側の立場に立って動けるか、ということだ。さらに、「ぐるり」という高齢者の居場所を運営するわたし自身のコミットの仕方も重要だ。正直、これが見えない。

 昨年9月末、「地域包括ケアシステム」の出前講座をT氏にお願いしたとき、その点を指摘した。そのために、架空の「幸福亭子」さんをモデルに、介護保険の中で彼女がどのように動き、利用できるか。その途中(倒れた彼女が病院に搬送。その後、リハビリを経て帰宅)までを、チャート(図表)にして配布した。次は、帰宅後の幸福亭子さんが、「地域で自分らしい暮らしを最期まで続ける」(社協広報誌)ことができる具体例をチャート化して見せて欲しい、とT氏に提言した。できればチャートに漫画も加えていただければ、より理解度は深まると思う。住民は活字を読みたがらない。昨夏、多摩市で開かれたフォーラムの際、担当部署の女性課長みずから“寸劇”を披露したという。これが、「担当部署は真剣にやろうとしている」という評判を呼び、一気に市民の熱が高まったと「さわやか」の丹直秀元理事が電話で知らせてくれた。

oh2 住民の意見に耳を傾けない”行政主導型”は、ときとして市民の目線を遠ざける。その結果、組織や人員の配置はできたものの、国や県からの手順を踏むだけに終始し、実質的に中身が空洞化する。「新しい制度のつくり方で、リスクを負うのは住民である。それも、住民がどれくらい参加するかで自分たちの制度の質が決まるのだから、議論の過程に住民不在はあり得ない」「事務的に従来の介護保険制度の圏域をスライドするだけでは、その後の仕掛けはうまく行かない」(『さぁ、言ぉう』同年10月号 さわやか福祉財団理事長清水肇子)の言葉は重い。
 また、住民参加とはいえ行政や業者がやるべきサービスを地域の住民に肩代わりさせるという考え方は大問題。「何故、住民による助け合いが必要なのか」を繰り返し広報すべきだ。そのためにも地区ごと(地区による温度差のため)の広報誌(チャート付)を、住民の手で発行すべきだろう。何事も行政任せでは、会議やイベント開催のみの報告に終わらせ(これを行政の「アリバイづくり」とわたしは呼んでいる)、中身を精査しないことが多いのだから。最後に「地域包括ケアシステム」の完全稼働に欠かせないのは、地域住民の個人情報の扱い方だと思う。それには、たびたびこのリポートに登場する東京都中野区の「地域支えあい推進条例」を本市(埼玉県所沢市)でも実行に移すしか選択肢がない。行政の縦割り方式を解消することも含めて首長の英断が必要になる。

 施設に入所した香川涼子さんから連絡がない。入所しても居心地が悪いと判断すると、強引に帰宅してしまう入所者も少なくないという。連絡がないということは、居心地が良かったのだろうか。認知症は、場所を変えると症状が進むといわれている。症状が悪化して…、いや、想像するのはやめにしよう。「ぐるり」の誰もが香川さんのことを話題にしないのは、それを心配している証拠なのだから。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
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