東芝不正会計の源は、西田厚聰社長にあり(後)
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実は、1997年3月期まで800億円もの営業利益を叩き出していた東芝のパソコン部門は、西田氏がパソコン事業部長に就いた90年代後半以降、利益はつるべ落としに降下していった。2002年3月期は赤字に陥り、03年3月期の第1四半期は大幅赤字に転落。証券アナリストからは、「東芝のパソコン事業は構造的に収益力を落としているのではないか」と批判的にみるものも少なくなかった。当時、米コンパックを吸収合併したヒューレット・パッカードが北米市場で低価格品攻勢を強め、東芝は一気に守勢に回り、売れ残りの在庫の山を抱えたのだ。
04年1月、専務に昇格していた西田氏は、突如、パソコン事業の立て直しを命じられ、PC&ネットワークス社に舞い戻り、陣頭指揮をとることに。このとき西室会長、岡村社長は、それぞれ通例の交代時期である任期4年を迎えていたが、あわよくば経団連会長を目論んでいた西室氏が1年留任を画策。異例のことだが、まだ1月の時点で、取締役会は株主総会で選任される社長候補を岡村氏と選んだ。通例3月末に決めることをこの時期にしたというのは、経団連の会長は、現職の企業経営者である社長か会長と定めていることと関係がある。西室氏は相談役になったら、経団連会長にはなれないのだ。
会長、社長が留任するといえども、それはわずか1年に過ぎず、「その次は西田が就くというのは当時の取締役はみなそう思っていた」(元副社長)。いわば社長が内定していた段階で、パソコン事業再建が託されていた西田氏が、立て直しの秘策に使ったのが、ODMメーカーへの事実上の押し込み販売「バイセル取引」。この取引を進言したのが、資材部門一筋で歩んできた田中久雄氏だった。
やがて台湾メーカーを使った不正会計は雪だるま式に膨れ、ついには四半期決算期末には売上高よりも利益のほうが大きいという異常事態に。昨年夏、東芝の第三者調査委員会が不十分な調査ながらも暴いたことによって、東芝の不正会計が組織的に行われたものと判明していくが、その源流にあるのが、パソコン部門のバイセル取引だった。そのときの恩義がある田中氏のことを西田氏は引き立ててゆき、自身と対立した佐々木則夫社長(後に副会長)の後任に起用。資材部門という傍流からの社長起用は異例のことと騒がれたが、それにはこうした事情がある。
もう1人、田中氏と親しい、同じく資材部門出身の石川隆彦氏が東芝国際調達台湾社の総経理として赴任したが、石川氏はすでに台湾着任15年を数える。3~5年で交代するのが一般的な東芝にあっては、極めて異常な長期在任。やはり裏の事情を知るが故、動かすに動かせないのではあるまいか――。
(了)
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