目前に迫る「2025年問題」~介護保険が維持できなければ「日本沈没」(後)
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「2025年問題」が脅かしているのは、国の財源だけではない。保険料は制度開始以来、3年ごとに見直されており、2000~03年は全国平均2,911円だったが、12~14年には同4,972円。25年には8,200円程度になるとみられており、25年で約3倍近くにまで跳ね上がる。
いわゆる団塊ジュニアもすでにほとんどが第2号保険者となる年齢を迎えたが、「2025年問題」は彼らもまたこの頃には第1号保険者にスライドしていくという事実を浮かび上がらせた。少子化の進行も止まらず、支えられる年代は増え、支える年代は減るばかり。足元が不安定なシステムはほどなく崩壊する。それを食い止めることはできないにしても、少しでも介護保険制度の延命を図るにはどうすればよいか。15年の改正は、その第一弾の対策として打ち出された。あくまでも対処療法としてではあるが。
まず勘違いしてはいけないのは、高齢者の増加がイコールで制度存続を脅かしているわけではないということだ。問題は認定者数が増えることである。高齢者が増えれば、認定されるリスクが高まるのは自明の理。逆に健康であれば認定を受けなくても済む。福岡市の担当者は「認定を受けるような心身の状態にならないようにしようということ。そのためには、高齢者の健康づくりに力を入れなければならない。また介護予防に対する意識を高めることも重要」と話す。
国は施設から在宅という流れをつくろうとしており、15年改正では地域包括ケアシステムの構築を掲げた。福岡市の担当者は「システムという言葉は、語感が良いとは言えない。全国一律という印象を与えかねないからだ。30分以内の範囲に社会資源がたくさんある福岡市のような大都市と、過疎化が進んでいるようなところを同列に扱うことはできない。地域の状況に合わせた個々のシステムを構築するという意味。システムというより、仕組みと言った方が分かりやすいだろう」と説明する。
地域包括ケアシステムのミソとも言えるのが多職種連携。医療や介護従事者のより有機的連携を進め、システムを機動的に運営する。たとえば、在宅でサービスを受けている人の状態を最も把握しているのは介護事業者だ。その情報をかかりつけ医と普段から共有しておけば、万が一の事態に備えることができるだろう。
ただし、包括という言葉は、介護や医療の分野だけに任せるわけではないということを意味している。認知症患者が徘徊し行方不明になったとして、コンビニエンスストアが防犯カメラの映像を提供するなどして追跡に協力するといった見守りもそのなかに含まれる。こうした見守りを効率よく運用するには情報の一元化を進めることが肝心であり、プラットフォームを構築しなければならない。この役割を担うことになるのが、地域包括支援センターだ。
「保育園落ちた日本死ね」ブログ問題で、「国の支援をあてにするのは筋違いだ」という批判の声が上がった。とくに高齢者にその意見が多いようだ。そうであるなら、介護保険制度をあてにするのも筋違いということにならないだろうか。子どもを産むのが親の勝手なら、老化で介護が必要な体になるのは高齢者の勝手といわれても仕方がない。こうした意識がないまま、一方的な意見ばかりがメディアで喧伝されるのは危険な状況と言えよう。
安倍政権は介護がいらない人を増やす方向に舵を切った。その是非はともかく、この政権を選んだのは有権者である。そうである以上、政策に協力し、高齢者は介護がいらないように健康増進に努めるべきだ。それが民主国家というものである。(了)
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