城ガールが巡る日本の名城~信州の黒漆天守・松本城(5・後)
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「日本のお城」といえば、どのお城を想像するだろうか?
国宝・松本城は現存12天守の1つであり、戦と平和を併せた独特の美しさを持つその姿は、国内外の多くの人を魅了し続けている。
今回は、“信州のお城レポート”の第一弾として、長野県松本市の松本城編をお届けする。市民に愛され、守られた松本城
松本城天守は、2度存亡の危機に瀕したことがある。
1度目は江戸時代末期、明治維新による旧物破壊の風潮により、御殿や櫓が壊され、売却され始めた。この時、松本城天守は競売にかけられ、235両永150文で落札された。これは米価比較で400万円ほどの金額だ。この天守取り壊しの危機に立ちあがったのが、下横田町の市川量造副戸長と、その有志たちだった。彼らは松本城天守で博覧会を開き、その収益と、天守存続のための呼びかけに集まった寄付金で天守を買い戻したのだ。2度目の危機は松本城天守が傾き始めたことに始まる。外壁は痛み、瓦も崩れかけ、天守はかつての美しさを失いつつあった。日に日に劣化していくその姿に憂いたのが、松本城の二の丸に建てられた松本中学校の小林有也校長だった。明治30年頃に、長野県から松本城の本丸を中学校の校庭にするという決定が成される。この時小林氏は、天守の修理工事の必要性を強く訴え、松本天守閣保存会を発足させた。全国から寄付金を募り、11年間かけて松本城天守の「明治の大修理」を行ったのだ。
その後、松本城天守は、「昭和の大修理」という天守の解体復元工事を行い、現在の姿となった。松本城内には、市川量造氏と小林有也氏両名のレリーフが置かれている。
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天守を見守る神様
天守6階には、二十六夜神が祀られている。
1618(元和4)年の正月、藩士の前に現れた二十六夜神が「毎月26日に三石三斗三升三合三勺のお餅をつき、捧げなさい。そしてそのお餅は藩士に分け与えなさい。そうすれば、城は安泰ですよ」と告げた。藩士は藩主にこの事を伝え、翌2月26日から明治維新に至るまで、このお告げを実行してきた。「二十六夜神様が、松本城を守ってくれているんですよ」と、スタッフのおじさんが話してくれた。※クリックで拡大
夜桜と天守
満開の桜の元で、「松本城 夜桜会」が開かれていた。ライトアップされた天守はとても幻想的だ。月見櫓では雅楽の演奏が披露され、聞こえる笛の音色に聞き惚れながら、天守を眺める。
市民に愛され、受け継がれてきた松本城。その歴史を振り返りながら見る天守は、より一層美しいものに思えた。
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(上田城編につづく)
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