池田親興氏が語る、ホークス3連覇への手応え(後)
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――昨年のシーズンにおける、嬉しい誤算は?
池田 上林こそ、嬉しい誤算でしょう。ファームで頑張っていい成績を出しているから1軍で使ったのでしょうが、“逆転満塁ホームランを打つ”というのは、満塁で回ってきたのも運ですし、そこで力を出せたのも運ですが、持っているものがあると思います。ただやはり、プロの厳しさというのはどこにあるかというと、自分自身が自分に期待する部分と、周りの期待に対し、自分自身が応えなければいけないという意思が高まると、それが自分の体を動かせなくしてしまいます。
上林選手は非常に悩んでいまして、僕がファームを取材した際、「上と下のバランスがバラバラです」と相談してきました。僕は、「上と下のバランスなんてバラバラでいい。お前は頭と心がバラバラにならなければいけない。頭と心が連動しているから、体に対しては今いっぱい悩んで、やることが一打席一球でバッターが打った時にそれで変わるから、悩むことを恐れる必要もないし、悩んでない人は誰1人いない」と伝えました。バッターは3割が素晴らしいと言われますが、一般社会で3割と言うと7割は失敗しているわけですから、クビですよ。失敗のなかに成功をいかに求めるかですから、実は、野球界は優しいんです。悩む必要はありません。
中野 川島選手も期待できそうですね。
池田 ヤクルトから来た川島選手は、あまり注目されてなかったと思いますが、両親が陸上の選手で、お兄さんは競輪の選手と、DNAが素晴らしい。DNAがいい選手は能力も高く、彼の場合、内野手で入ってきましたが、飯田コーチに聞いたら、外野守備のほうが上手いそうです。
工藤監督は、危機感をもって、1人の選手に複数のポジションをやらしています。ショートを守れる人はショートじゃないと守れないわけですが、セカンド、外野をやることで、自分の価値観、視野、視点、いろんなものを変えることができ、チームの幅が出ることで自分が残れるチャンスも増えます。
バックアップをするということは、バッティング、守備、走塁のうち、「前にいる選手よりも何かが足りない」と考えなければいけません。守備だけでいくのなら、絶対に負けてはいけないし、少なくとも同じレベルでなければいけません。もしくは、誰と代わってもいけるような感覚をもってやんないといけなません。
今、誰が出ても同じことをできるような意識をもってやっていますから、選手たちの意識は高くなっています。守備だけ、走塁だけというわけにはいきません。昔はそうでしたが、そんな感じで人数1人をベンチに入れられませんよ。また、複数ポジションをやることで、自分の体の能力の幅が広がり、『自分の限界』という固定観念を捨てることで、自分の伸び代に気付くことができます。それは結果的に、「現役が終わった時に全部使い果たしたぞ!」と思えるような野球人生を送ることにつながります。それもチームのためじゃないですか。
中野 その通りです! 30歳過ぎてからでもまだまだ伸びますよ。
池田 実際に選手寿命は伸びています。給料が上がり、自分のために使えるお金が増えました。それに練習環境が良くなり、トレーニングでは、多方面からいろいろ見てもらえて、自分の体の知らないところでもトレーナーから教えてもらえます。それと人工芝の質が良くなるなど試合環境も良くなり、ケガが減りました。“選手たちが自分のことを見つめ直している”という点では、ホークスはモデルチームだと思います。ただ、お金がありますから。この点に関しては他のチームはどうにもできません。与えられた環境でやるしかないので。ただ、それでも今はやれるものがたくさんありますから。
しかしながら、ホークスが、今の環境があるから強いのかと言われると差に非ずで、選手たちの意識が高いから良くなっています。その分、対価をもらっているということになっているので、その自分たちの置かれた環境がよくなければできないとか、選手たちは考えていません。そう考えると、ホークスの選手たちは人間的に伸びている部分が大きいと思います。――最後に、3連覇についてどのように思いますか。
池田 工藤監督は、選手時代に日本一を含めて3連覇を経験されています。監督として日本一を含めた3連覇をするときに、十二球団のなかでそこにいるというのは、あの人が持っているものなんだと思います。
中野 九州で1つのソフトバンクホークスですから、ぜひとも3連覇で九州に元気を与えていただきたいと思います。
(了)
【聞き手・文:山下 康太】
<プロフィール>
池田 親興 (いけだ ちかふさ)
1959年5月17日、宮崎県生まれ。法政大学卒。83年にドラフト会議で阪神から2位指名され入団。85年は開幕投手に指名され、チームの日本一に貢献した。91年にダイエーに移籍。95年、ヤクルトに移籍し、同年現役引退。中野 武志(なかの たけし)
1944年、福岡市生まれ。法政大学経済学部卒業後、(株)フジソクに入社。福岡営業所所長まで勤めた後、退社。同営業所の営業基盤を譲り受けて77年3月に会社を設立。代表取締役に就任した。趣味は野球とゴルフ。関連キーワード
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