「東京の千鳥屋」が民事再生へ(1)~発祥は飯塚市
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和菓子「千鳥饅頭」や洋菓子「チロリアン」を製造・販売する千鳥屋総本家(株)(本社:東京都豊島区、原田季和代表)は16日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。同日、同地裁より監督命令を受けた。負債総額は約23億円が見込まれている。
「千鳥屋」の歴史は古く、長崎でポルトガル人から丸ボーロ、スペイン人からカステラといった菓子の製造技術を学んだ原田家が、1630(寛永7)年に現・佐賀市久保田町で創業した「松月堂」が源流とされている。
「千鳥屋」としての始まりは福岡県飯塚市。1927年に、筑豊炭田で賑わっていた飯塚松月堂の支店として「千鳥屋」が開店した。過酷な肉体労働に従事し、疲労から甘いものを求める炭坑夫の間で「千鳥饅頭」は大ヒット。49年には福岡へ進出。62年に、もう1つの看板商品となる「チロリアン」の発売が開始された。
「千鳥饅頭」と「チロリアン」を考案したのは原田政雄氏。「千鳥屋」の事業は、1954年に政雄氏が死去した後、夫人の原田ツユ氏が継承した。夫妻の間には5人の子息があり、夭折した四男以外は、ツユ氏の跡を受け継いだが、それぞれ別の場所で法人を持ち、事業展開を行った(カコミ参照)。
長男・良康氏=千鳥屋総本家(株)(東京)
次男・光博氏=(株)千鳥饅頭総本舗(福岡)
三男・太七郎氏=(株)千鳥屋宗家(大阪)
五男・利一郎氏=(株)千鳥屋本家(飯塚)ツユ氏の長男・原田良康氏は、東京オリンピックが開催された1964年に東京へ進出。東京都豊島区駒込に本拠を構え、関東圏に店舗を展開。現在の千鳥屋総本家となった。なお、現代表の季和(きわ)氏は良康氏の娘。ツユ氏から数えて3代目にあたる。
(つづく)
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