2024年11月26日( 火 )

会見と報告書から見える舛添都知事の人間的「せこさ」(前)

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 東京都知事の舛添要一氏は政治資金を私的流用していた疑惑について、5月13日に記者会見し「都民への説明責任は果たした」と強調した。一部は私的に使っていたことを認め、政治活動と判断できないものについては返金するとしたが、その内容に対し批判の声が高まっている。政治資金収支報告書と記者会見の内容から透けて見える舛添氏の人間性とは――。

 舛添氏が会見で言及した政治団体は3つ。時系列で並べると、新党改革比例区第四支部(以下、第四支部)は舛添氏が代表を務めていた当時の新党改革の支部で、氏が党代表を辞任した約半年後の2014年1月31日に解散。舛添氏の資金管理団体だったグローバルネットワーク研究会(以下、研究会)もさらに半年後の同年7月31日で解散した。泰山会は舛添氏が都知事に就任した直後の14年3月25日に設立された資金管理団体だ。

 政治資金収支報告書をみると、第四支部には党本部から12年に3,000万円、13年に460万円、14年に600万円がそれぞれ交付されている。第四支部解散時にその残金の一部である525万8,128円を研究会に移動。さらに研究会の解散時には残った全資産4,959万6,689円を泰山会に移した。いうまでもなく、これら三団体の代表は舛添氏だ。つまり、もともと政党交付金だったカネがいくつかの資金管理団体の間を還流するうちに舛添氏の政治資金に化け、都知事選の選挙資金にも使われている。こうした手法は他の政治家も行っているから問題はないというのは理屈にもならない。都知事就任前にはクリーンさを掲げていた舛添氏だったが、実は公金と私費の区別が全く付いていないことがよく分かる。

舛添都知事の不正疑惑を報じた5月11日発売の週刊文春記事<

舛添都知事の不正疑惑を報じた5月11日発売の週刊文春記事

 舛添氏は会見冒頭で、研究会がホテルに会議費用として支払った約37万円について言及した。研究会の収支報告書では2013年1月3日に23万7,755円、14年1月2日に13万3,345円を竜宮城スパホテル三日月(千葉県木更津市)に会議費用として支出している。同ホテルはアクアライン「木更津・金田」から車で5分の距離にあり、2つの宿泊施設に展望風呂、プール、遊技施設などを備えたリゾート施設だ。週刊文春の記事によると、関係者が「会議は行われていない」と証言したとして、家族旅行に政治資金を使ったのではないかと疑いを投げかけている。

 舛添氏は同ホテルを家族旅行で訪れたことは認めたものの、会議は開いたと主張。13年は直前に行われた衆院選の総括と参院選への対応、14年には出馬を予定していた知事選の対応を、それぞれ事務所関係者と協議したと説明した。ただし会議室を借りず、家族と宿泊していた部屋で打ち合わせを行ったことは不適切だったとして、会議費用計37万1,100円を収支報告書から訂正削除し、返金する意向を示した。

 この説明はいかにも不自然だ。舛添氏がホテルを訪れたのは会議が目的ではなく家族旅行のためである。「時間が取れなかった」と言い訳したが、舛添氏も会見で語った通り、12年12月の衆院選で当時代表を務めていた新党改革は惨敗している。その総括という重要な作業を家族と泊まっていた温泉ホテルの部屋で行っていたというのは理解しがたい。会議室を使わなかった理由も、14年は「直後に知事選の立候補を表明する予定で(実際には1月8日)、公約の内容を急いで詰めなければならず、また機密性が高かったので会議室を使えなかった」と語った。ホテルの公式HPによると、宿泊施設には基準室と特別室の2タイプがある。
 いずれも洋室と和室の二間だが、基準室の和室は狭く大人でも二人しか座れない。特別室なら4人は和室に座ることができる。洋室にはベッドが置かれていて会議には使えない。舛添氏が特別室に泊まっていたとして、事務所関係者を部屋に詰め込んだとしてもせいぜい10人には満たないだろう。舛添氏も会議に参加したのは数十人規模ではなく、宿泊もしていないと発言している。

 ホテルの宿泊費は最も高いプランで一泊4万円。家族4人で宿泊したとしているので、一番高い部屋だったとしても、飲食代なども考慮すれば一泊で大体13万円になるだろう。そもそも家族で宿泊していた部屋で会議を行ったと言われても、どうやって証明するのか。舛添氏の理屈では、慰安旅行先に仕事に関する電話がかかってきただけで、それが業務であるとして宿泊費を経費で落としてもいいということになる。こんな話が世間一般で通用するはずがない。もう一つ首を傾げるのは、ホテルに旅行したのは13年と14年の2回だけとしている点。毎年旅行していて、たまたま衆院選や知事選がかち合ったというならまだ話は分かる。確かに12年の衆院選や14年の知事選は決められたスケジュールではなく、突発的に起こったものだ。そうであるとはいえ、狙いすましたかのようにこの時だけ家族で旅行に出かけたというのは違和感が残る。氏は「子供との約束だった」とするが、父親の仕事が忙しくなれば家族のイベントが流れてしまうのはよくある話。本当に家族旅行先で開かなければならないほど緊急性の高い会議だったのか。それを明らかにするには、せめて会議に出席した人数や名前は公表すべきだが、氏は「プライベートに関わるから」と口を閉ざす。しかし政治活動はプライベートなのだろうか。

(つづく)
【平古場 豪】

 
(後)

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