三菱自を安く手に入れた日産ゴーンの凄み(前)
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まるで、1999年の出来事の再来であった。日産自動車と三菱自動車が資本提携を発表した5月12日の記者会見は、17年前の99年、仏・ルノーが日産を傘下に入れた出来事を彷彿とさせる。
横浜市の日産本社近くの記者会見場、日産のカルロス・ゴーン社長兼CEOは三菱の益子修会長を従えて会場に現れた。対等なパートナーシップを謳うものの、すでにこの時点で「主従」の関係は明らかであった。意気揚々たるゴーンに対し、益子氏はややうつむきがち。会見の主導権は当然ゴーンにあった。
「益子さんと合意した条件で、日産は2,370億円を出資して三菱に34%出資することになった。規制当局の承認を経て日産は三菱の筆頭株主になる」――。
日産は三菱の信頼回復に全力を注ぐとし、「17年にわたるルノーとのパートナーシップを中心に、私どもはアライアンスに成功した実績がある」述べ、「17年前」の99年のルノーによる日産買収に言及した。
17年前のあのとき、日本は長く続く不況がさらに一段と深刻さを増した。山一証券や北海道拓殖銀行が破綻し、銀行に貸し渋りが広がる。
そんななか日産は赤字が続き、しかも2兆5,000億円もの有利子負債を抱えていた。頼みにしていたダイムラー・クライスラーとの資本提携は来日したシュレンプ会長との間で合意に至らず、突如白紙に。まだ独・ダイムラーと米・クライスラーが経営統合して間もないことも手伝い、シュレンプ氏は日産の巨額債務に恐れをなしたのだ。そんな待ったなしの危機を、逆に好機到来とみなしたのが、仏・ルノーのルイ・シュバイツァー会長だった。日産はあくまでもダイムラーを本命視し、ルノーは「とりあえず交渉をしてみるだけ」という選択肢の1つに過ぎなかったし、誇り高い日産社員は仏・ルノーに対して、「技術力がない」などと自らよりも“格下”と見下す空気があった。
だが、シュバイツァー氏は、四面楚歌の窮地にあった日産の塙義一(はなわ・よしかず)会長に、救いの手を差し伸べたのである。99年3月、経団連会館11階ホールで開かれた両社の記者会見でも、ルノーのシュバイツァー会長は終始、塙氏の顔をたて、「ルノーの人間が日産を再建するのではなく、日産の14万人の社員が日産の再建をするのです」との決め台詞を吐き、格下のフランスメーカーに飲み込まれ、自尊心が傷ついた日産社員を癒した。
このときにシュバイツァー氏は、「ゴーンのコストダウンの効果が期待できる」と、後に日産にCOO(最高事業責任者長)として送り込むカルロス・ゴーン氏について言及している。(つづく)
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