タックスヘイブンでの課税逃れチャンピオンは武富士の武井家(後)
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香港には、相続税や贈与税はない
消費者金融大手、(株)武富士の創業者、故・武井保雄氏による史上空前の脱税事件は、タックスヘイブンの香港を舞台にしたものだった。
「サラ金の帝王」と呼ばれた武井保雄氏は、将来の莫大な相続税をにらんで税法の抜け穴を探した結果、今のうちなら税金を払わなくても財産を譲れるということで、史上最大の課税逃れ(=脱税)工作を行った。
まず、香港に投資会社を設立、その代表を長男の俊樹氏にして、1997年2月に住民票も香港に移した。そのうえで保雄・博子夫妻は97年12月、全額出資してオランダに投資会社・YSTインベストメント(以下、YST社)を設立。工作を実行するのは99年に入ってからだ。99年3月、武井夫妻は保有していた1,569万株の武富士株をYST社に譲渡した。そして99年12月27日、YST社の発行済み株式の90%に相当する720株を、香港に居住していた俊樹に贈与したのだ。香港には、贈与税や相続税はない。したがって、オランダから香港への贈与には税金はかからない。香港に半年以上居住して、日本では非居住者となっている俊樹氏は、日本の贈与税は適用されないとして申告しなかった。
こうした世界をまたにかける課税逃れの金融知識が、保雄氏にあるわけがない。指南したのは、外資系金融機関の金融マンたちだ。脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)を幇助するのは得意芸なのだ。彼らが知恵を絞って伝授したのが、海外資産の贈与を利用した課税逃れだった。
99年当時の税法では、外国法人株は国外財産とみなされ、日本人が国外財産の贈与を受けても、海外に住所がある「非居住者」であれば、課税できなかった
国税が敗訴し、武井側は2,000億円を手にした
この法外な無申告贈与を認めてよいのか――。国税当局は、あからさまな課税逃れ(=脱税)を許さないとして、全面戦争に突入した。
当局は、俊樹の居住状況を詳細に調査。出入国記録から国内居住日数は半年に満たなかったが、香港のアパートはホテルのような立ち寄り先にすぎないと判断。生活の本拠が住所とする民法上の規定に照らし、実質的には国内居住者と認定した。贈与された720株の価値は、YST社が資産として保有する武富士株の当時の時価(1株1万1,850円)から同社が抱える負債を差し引いて評価すると、約1,600億円にのぼった。
国税当局は、時効寸前の2005年3月に、約1,600億円の申告漏れを指摘し、約1,330億円の追徴課税処分を下した。俊樹氏は延滞税を含めて、約1,600億円を納税した。これを不満として俊樹氏は反撃に出た。約1,330億円の追徴課税処分の取り消しを求めて提訴。ここに「武井家と国税の闘い」の火蓋が切って落とされたのである。
俊樹氏は、「香港に住んでいたので納税義務はない」と主張。07年5月、一審の東京地裁は香港居住が認められて処分取り消しとなった。だが、08年1月、二審の東京高裁は「居住地は国内にあった」として、俊樹に逆転敗訴を言い渡した。
俊樹氏側が上告した最高裁は11年2月18日、課税は法律によらねばならないという租税法律主義に即して、二審判決を退け、処分を取り消した。判決は「元専務は海外を生活拠点としていたため課税できない」と判断した。国側の逆転敗訴が確定した。05年の追徴課税処分決定後に、俊樹氏は約1,600億円の贈与税を全額納付したうえで争ってきた。国から利子にあたる還付加算金約400億円も上乗せして支払われるため、約2,000億円にのぼる巨額の資金が還付された。
この裁判は、税務訴訟の歴史のなかで記録に残るものだ。約1,300億円にのぼる追徴課税処分は、個人としては史上最高額で、約2,000億円の還付金はこれまた空前の規模だ。
最高裁が「違和感も生じる」としたように、高利貸しで荒稼ぎした武井家による巨額の租税回避が容認されたことには、理解に苦しむ向きが多かった。武富士は10年9月、会社更生法を申請して破綻した。すでに武井家の経営を離れているが、武井保雄氏は2,000億円という巨額の富を一族に残した。タックスヘイブンを活用した、脱税事件であった。
(了)
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