更生計画終了間近、復活を目指す老舗企業・アサヒコーポレーション(3)
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運命の1998年4月1日・・・銀行取引停止
同規模かつ同様の事業形態の同社とムーンスターはともに厳しい市場環境に晒されていた。しかし、ムーンスターの様に思い切った経営合理化は表面化しなかった。ゴム靴製造の関係者の間では、当時「月星さんと比べてアサヒさんはうまいこと経営をやっているようだ。比べて月星さんは思い切った合理化をやったものだ。これで、アサヒが業界のトップだね」と囁かれていたそうだ。
だが、実際は違ったようだ。一族の石橋徳次郎氏が一度代表に就任したものの、95年3月に経営不振を理由に一度会長職に退いた。代わって代表取締役社長に就任したのがプロパーの三枝恒夫氏。合理化策を打ち出すものの、石橋一族の反感を買い三枝恒夫氏は副社長に降格。再度石橋徳次郎氏が代表取締役社長に就任した。このため合理化策は頓挫してしまう。しかも関連会社の販売店に在庫を押し付けることで売上は伸びる。関連会社は在庫過多を招くものの、同社の保証で金融機関から資金の調達ができる構造となっていた。
96年12月期には赤字に転落。それでも石橋社長は抜本的な解決策を打ち出すことが出来ず業績は低迷した。経営に口を挟む一族に旧経営陣はお手上げだったかもしれない。そしてついに98年4月、会社更生法の適用を申請。約1,200億円の負債を抱え事実上の倒産となった。
当時は東京に本社があったことから東京地方裁判所に会社更生法適用を申請するが、東京地裁では迅速な受理が望めないと判断。創業地である久留米市に本社を再移転させ、福岡地方裁判所に会社更生法適用を改めて申請をした。しかし、同社の動きは遅く、会社更生法の適用申請を行うための正式な決定は4月1日の不渡りから実に1週間以上かかり、9日まで待たなければならなかった。取締役会では再建計画などをいつ申請するかについて「具体的には言えない」とコメントするなど、当時の経営陣の混乱ぶりは露わになっていた。当時の状況について、社員らには「会社が倒産したらしい」といった情報しか入らず、社員たちの混乱を招いた。
地元の自治体や企業なども救済に動き出した。毎年5月1日に開催されたメーデーには同社を含むゴム関連の関係者が多く集まり、何度もシュプレヒコールをあげて気勢を上げた。しかし、ゴム3社の1社が倒産してしまったことで、ムードは沈滞していたという。しかもメーデーの行進を行う傍らには「会社再建のためも“アサヒ靴”を買って下さい」と同社社員らしき人々が靴を売る姿があったそうだ。恥も外聞をかなぐり捨てて涙ぐましい販売は同情を買うとともに、放漫経営が今回の倒産劇を生んだと言えよう。社員も厳しい現実を突き付けられたのではないだろうか。
(つづく)
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