2024年12月19日( 木 )

更生計画終了間近、復活を目指す老舗企業・アサヒコーポレーション(4)

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連鎖倒産に追い込まれた関連会社

アサヒ本社の正門<

アサヒ本社の正門

 同社はこの倒産に対する再建スローガンを「大きく血を流して再建する計画」とした。石橋一族をはじめ経営陣、従業員、関連企業すべてを犠牲にする大合理化案を示した。同社の元従業員は「定年までもう少しだったので退職金をあてに、家を建て直しました。ところがこの倒産で退縮金は大幅に減額され、なお分割での支払いだったので、ショックでした」と悔やんだ。

 また、関連会社については久留米地区を中心に全国320社ほどあったとされている。同社の倒産が明るみになり、連鎖倒産や操業停止に追い込まれた企業は少なくなかった。たとえば、4月4日に久留米市の東洋ゴム織布は従業員29人を解雇。6日に北海道アサヒ販売が倒産。8日、アサヒゴム加工工場の操業停止。9日、千代田町の南田産業は70人を解雇。同日、山田市のアサヒシューズ工業は操業停止し、三根町の旭縫製西島工場は全員に解雇通達して14日に解散するなど、関連する地場の零細業者では従業員の自宅待機や解雇が相次ぎ、21日には東京アサヒや横浜アサヒなどの販社も倒産したのだ。

 当時を知る金融機関関連で同社の下請け会社などをよく知る人は「アサヒの倒産で下請け会社はかなり混乱していました。倒産後もアサヒの方針がきまらず、(関係会社が)ずっとざわついていたのを覚えています」と当時の状況を語る。

 面白いエピソードがある。同社の倒産でライバル会社のムーンスターがシェア拡大を画策し、靴の増産を開始。残業、休日出勤を行い販路拡大に動いたそうだが、結局商品はそう売れず、在庫だけが多く残ったそうだ。

(つづく)

 
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