2024年12月24日( 火 )

収まらない余震。国からの支援を求めていく~熊本県(2)

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阿蘇周辺に集中する被害熊本高森線の復旧は数年がかり

kumamoto 家屋など建造物の被害が最も多かったのは益城町だが、土木インフラの被害は阿蘇山周辺に集中している。熊本高森線(県道28号線)は本震発生直後の4月16日午前2時ごろから現在も通行止めの状態が続いており、安全が確認されて解除されるまでには2、3年はかかるという。この約10kmの通行止め区間は阿蘇山の西にあり、谷と谷を橋で結び、2つのトンネルがある。これらの構造物が地震の揺れによって破損し、通行が不可能となった。この熊本高森線を使えば、南阿蘇村から熊本市中心部まで車なら60分ほどで着くことができる。このため、熊本市内の会社に勤める人のなかには南阿蘇村に移り住んでいる人もいるという。しかし、通行止めが長く続けばその利便性も失われることから、将来的には南阿蘇村からの人口流出が懸念される事態になっている。

 熊本高森線における構造物の被害状況には、熊本地震の揺れの特徴がよく現れている。西原村側の通行止め区間の入り口に近い大切畑大橋(265.4m)では、約40cmの段差と、約110cmの横移動が確認された。桑鶴大橋(160m)は一方で桁が持ち上がり、谷の方に水平移動。これにより支承が破壊されていた。もう一方では桁が谷側に回転していた。また橋を吊っているケーブルが抜けており、揺れの激しさを物語っている。

 俵山大橋(140m)の被害は大きく、一方の橋台が沈み込み、もう一方は水平にずれていた。橋に2つの異なるベクトルの力が働いたことがわかる。沈降した側では、桁と橋台が衝突し、橋台の上部を破損させていた。さらには橋台下部の土砂が流出し、基礎の部分が露出するという危険な状態となっている。さらに俵山トンネル(2,057m)では南阿蘇村側入り口から430~470m付近で、覆工コンクリートが崩落していた。熊本県土木部によると、トンネルのアーチ形構造そのものは外的な力に強く、トンネルが崩壊する心配はないという。以上は比較的被害が大きかったもので、ほかの橋でも橋台の移動や桁のずれ、道路の崩壊が見つかっており、復旧の難しさがうかがえる。

 国道57号線は熊本高森線に並行するかたちで走っており、立野地区で国道325号線とつなぐ阿蘇大橋があった。地元では「赤橋」の通称で親しまれ、黒川をまたぐ205.9mのアーチ橋は、本震によって崩落した土砂に押し流された。地元では熊本城の崩壊に並ぶほどの大きな衝撃を与えた被害で、県土木部監理課の原田義隆課長補佐は「最初に現場の映像を見たとき、阿蘇大橋がなくなっている光景をにわかに認識できなかった」と当時の心境を振り返る。それも無理はなく、阿蘇大橋を押し流した土砂は緩やかな傾斜を下ってきており、この斜面が崩壊するのは想像すること自体難しかったのだ。阿蘇大橋崩落にともなう国道325号線の通行止めは迂回路が設定されたことにより暫定的に解除されたものの、専門家の間からは同じ場所での再架橋は困難との意見も出されている。

(つづく)
【平古場 豪】

※写真は熊本県提供

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