事務次官目前にして足踏み、経産省・嶋田隆の悲哀(前)
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経済産業省の嶋田隆氏が6月17日付の人事異動で、同省中枢ポストの官房長から畑違いの同省通商政策局長に異動した。何の変哲もない役所の定期異動に見えるが、嶋田氏は菅原郁郎現次官の後を襲って次の事務次官に就任するのが確実視されてきただけに、省内では「政変が起きた」(課長級職員)と受け止められている。
その背景には、どうやら東京電力の策謀がありそうだ――。「霞が関通信」と題する”怪文書”が、霞が関や永田町、マスコミにも広くばらまかれたのは昨年夏のことだった。「地検特捜、東芝粉飾疑惑に重大関心 捜査線上に、大物官僚が浮上か」という、おどろおどろしい見出しがつけられ、東芝の粉飾決算事件が東京電力に取締役として出向していた嶋田氏に飛び火すると綴られている。東電がスマートメーターを発注しようとした際、最も技術的に有力だった三菱電機が排され、代わって東芝と同社が傘下に収めたランディスギアが受注した。その背後にいたのが、東電に出向していた嶋田氏だった――というのである。
その真偽のほどはわからないが、経産省の嶋田氏の部下たちは一読するなり「これは東電の陰謀」と確信した。それほどまでに、嶋田氏は東電に忌み嫌われているのである。そもそも嶋田氏は、東大法学部卒、同経済学部卒がひしめく同省内にあって、開成高校から東大工学部計数工学科に進んだ理系の人。1982年に旧通商産業省に入省し、資源エネルギー庁の石油部計画課に配属されて官僚人生をスタートさせた。
霞が関・永田町で知られるのは、小渕内閣で98年に通産相に就任した与謝野馨氏に気に入られ、以来、与謝野氏が官房長官、経済財政担当相、財務相などと入閣するたびに秘書官に起用されてきたことだ。合計5回、延べ3年以上も与謝野氏の大臣秘書官を経験し、与謝野氏の腹心とみられてきた。嶋田氏の入省同期の82年組は、安倍晋三首相の首席秘書官を務める今井尚哉、資源エネルギー庁長官の日下部聡、経済産業審議官の片瀬裕文の各氏らがいる。とりわけ「今井、嶋田、日下部」3氏は”三羽がらす”と言われた俊秀。官邸に転出した今井氏は「もはや経産省には戻ってこない。忠誠を尽くす安倍政権に殉ずる」という心構えと言われ、また日下部氏も横浜工大卒という学歴のハンディキャップと「パワハラまがいの部下の指導が目立つ」(同省課長)という風評から、次期次官は嶋田氏が最有力で一歩リードとみられてきた。
それが狂ったのは、嶋田氏が深く関わってきた東京電力に関係がある。
嶋田氏は、与謝野氏が民主党政権下でも一本釣りにあって入閣したことから、2011年1月、与謝野経済財政担当相秘書官に起用された。直後に東日本大震災と福島第一原発事故が発生し、与謝野氏と懇意だった仙谷由人元官房長官の相談にあずかるようになって、東電問題に深入りするようになった。
経産省が主導してまとめた原子力損害賠償支援機構が同年9月に発足すると、嶋田氏は同機構の事務局長に就任。さらに財務状況が大幅に悪化していた東電に対して、同機構が1兆円の増資を引き受けるかたちで出資し、東電を実質的に”国家管理”に置いた。東電は経産省にとって、エネルギー政策という国の根幹に位置しながら政治的な影響力が強く、御しにくい相手だった。過去の電力自由化政策は東電の抵抗にあって、たいていは換骨奪胎されてしまう。つまり電力自由化を進めるには東電を押さえ込む必要があり、原発事故にともなう資本不足の事態は、むしろ出資することで制御できるようになるため、経産省にとっては渡りに船だった。
この当時、エネルギー政策に関わっていた経産官僚は「東電を実験台にして電力改革を進める」と豪語しており、おそらく嶋田氏も同じような心境だっただろう。(つづく)
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