2024年12月23日( 月 )

【名門・筑女の異変】上山大峻学長が辞表を提出!(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 筑紫女学園大学の上山大峻学長が6月30日に辞表を提出していたことが、関係者の話から分かった。辞表を提出したのは「健康上の理由」とされ、現在は上山氏が住職を務める山口県内の寺に戻って筑紫女学園側からの連絡を待っているという。データ・マックスは学園にも事実関係を確認したが「ノーコメント」。7月に入ってから20日以上、大学内に学長が不在という状態が続いているとみられる。

 学校法人筑紫女学園をめぐる混乱の原因は、前理事長の笠信暁氏による強引な運営手法にあった。その一端は、すでに数年前の学長選から現れており、選考の過程に不満を訴えた教職員を選挙から排除するという暴挙にまでおよんでいる。教職員らが笠氏への反発を強めたのは当然と言え、再三にわたって退任要求を突き付けたという。笠氏と教職員らが対立するきっかけの1つとなった、学長選の経緯を追う。

教職員選出の学長候補者を理事会が不承認

学長不在の状態が続く筑紫女学園大学<

学長不在の状態が続く筑紫女学園大学

 2003年1月27日に施行された筑紫女学園大学・短期大学部学長選任規則では、理事長は推薦委員会を設置し、委員は理事や教職員、事務局から互選された18名とされた。委員らは各1名ずつ学長候補者を推薦し、大学・短期大学部の専任教職員、事務局事務職員のうち課長補佐または室長補佐以上の者を選挙人とする選挙を実施。得票者数上位2名の候補者が理事会に推薦され、2名のうち出席理事の3分の2以上の承認を得た候補者を学長に選任することになっていた。しかし、14年の学長選において、理事会で2名とも出席理事の3分の2以上の承認を得られない事態が起こった。

 これを受けて、理事会は改めて推薦委員会を設置し、学長選のやり直しを決定。11月18日の学内運営協議会で次期学長選のスケジュールが説明されたが、教職員側から「今回は、前回のようにならないように3名が立候補し、2名が上位得票者として信任されたかたちを取っているので、今回の理事会の決定はおかしい」と、決定の差し戻しを求める意見が出された。前回とは、2012年4月1日付で就任した学長の選挙のこと。理事長が推薦した候補者が理事会で3分の2の承認を得られず、3分の2に達するまで計3回の信任投票が行われたという。理事会が1回で学長を選任しなかった理由は定かではないが、理事のなかにも「混乱」との認識があった。

 教職員側は前例を引き合いに出し、3分の2の承認を得られるまで信任投票を行うべきと主張。しかし、理事会側は「また同じ結果になるということがわかっている」と突っぱねた。教職員側としては、自分たちが選んだ候補者が理事会で承認されなかったことを納得できないのは、やむを得ないだろう。理事会は、教職員らによる選出は意向調査との見解を崩そうとしない。教職員の1人は「運営の主体はあくまでも大学にあるので、大学が運営すべきではないか」と訴えたものの、当時の理事長だった笠氏は「運営は、規定で理事会とある」と退けた。一連のやり取りから、何としても自分がキャスティングボードを握りたい笠氏が頑なな姿勢を取り続け、教職員らが不満を募らせていった過程が浮かび上がってくる。残念なのは、この対立が、最も大切な学生を置き去りにして生まれたことだ。

 笠氏に対し教職員から苦情や批判が寄せられたものの、議題はそのまま同じ日の常任理事会に持ち込まれた。理事会でも、理事の1人は2人の候補者が選ばれなかった理由の説明を求めたが、却下された。12月1日に教職員に対し、理事会の決定事項を報告。笠氏側は次期学長選への理解と協力を求めたものの、事態は急変する。大学と短期大学部の専任教職員が互選する推薦委員が、期限の12月17日を過ぎても推薦されなかったのだ。つまり教職員側が、笠氏に対し反旗を翻したということである。

(つづく)

【平古場 豪】

 
(後)

関連キーワード

関連記事