東ヨーロッパには何があるのだろう(4)
-
物価が安いということは…靴を買う親子
ホテルから出て大通りを少し歩くと、近代的なショッピングセンターがあり、その1階に地場大手スーパーの「MAXIMA」がある。年間売上26億ユーロを超える大手小売企業だ。バルト三国とポーランド、ブルガリアに500店舗以上を展開する。大、中、小規模のスーパーを立地に合わせて出店していて、店舗規模でX、XX、XXX と分かれている。Xの数が多いほど、品ぞろえが豊富で店舗面積も広い。
訪れた店は食品、雑貨で、5万アイテム程度の商品をそろえた中型店だった。さしずめXXというところだろう。夕食を買いに店に入った。冬の気候の厳しさを象徴するような大げさなつくりの自動回転ドアを通り抜けると、アメリカのそれと見まがうレベルの店内だった。立派な店内加工総菜売り場もあり、生鮮も乳製品も加工食品も充実している。
果物も野菜も十分に新鮮なものを選ぶことができ、全体的に価格は安い。我が国の半額程度と思っていい。しかし、考えてみると、安いとは言ってもリトアニアの一般市民の年収は日本の大卒初任給の3分の1でしかない。平均月収8万円の中央値は、おそらくその半分程度しかないはずだ。エンゲル係数から言えば、50%を超す家庭がザラということだろうから、安いというのは日本的感覚でしかない。そういえば、一通り食品を買って雑貨の売り場に差しかかったところで、運動靴を手にその品定めをしている親子の姿を目にした。彼らはしばらく何種類かの靴を手にしながら、お互い時々笑顔を交え、それでも真剣な目で言葉を交わしていた。
しばらくすると、彼らは運動靴を手にすることなく売り場を後にした。彼らの見ていた靴の棚を見ると、そこに示されている価格は12ユーロ。たしかに高くはない。しかも10歳くらいに見えた男の子の履いていた靴は、かなりくたびれていた。そんな光景が、幼い頃の記憶に結んだ。昭和30年代まで、僕たちは一様にひどく貧しかった。まともな米もなく、代用食と称するイモやうどんの食事が普通だった。靴は布ではなく、ゴム靴だった。穴が開いても履けなくなるまで、穴開きの靴を履くのが普通だった。
その後の急激な経済成長は、改めて説明するまでもないだろう。私たちは思いきり豊かになり、ゴム靴、代用食の記憶はすでに遠い。翻って、この国の将来はどうだろう。国土は狭く、気候は厳しく、資源も人口も少ない。加えて、秀でた工業力があるわけでもない。そんなこの国の親子の人生の先には、何が待っているのだろう。
ただ、何も買わずに売り場を後にする親子の顔には、溢れる笑顔があった。「そのうちにいつか」――買えなかった靴は、彼らの楽しい夢の途中かもしれない。2人の後ろ姿を見ながら思った。せめて12ユーロの靴くらい迷わず買える暮らしを手に入れてほしいと。(つづく)
<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。関連記事
2024年11月20日 12:302024年11月11日 13:002024年11月1日 10:172024年11月22日 15:302024年11月21日 13:002024年11月14日 10:252024年11月18日 18:02
最近の人気記事
おすすめ記事
まちかど風景
- 優良企業を集めた求人サイト
-
Premium Search 求人を探す