2024年11月26日( 火 )

東ヨーロッパには何があるのだろう(6)

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街には教会がある

ヴィリュニス大聖堂<

ヴィリュニス大聖堂

 バルトの街には、視界のどこかに教会がある。

 海や高い山に隔てられることなく、限りない神の違う民族が出逢えば、そこには必ず争いがおこる。経済的拡大と布教、そして植民。それは大抵の場合、命のやり取りにもなる。
 神の使い手の出番は、戦いの序章だ。ある日突然、軍隊をともなって神の使い手たちがやって来て、死後の幸いを担保に、元からいた民に従順と奉仕を要求する。正しい神への服従――。それを拒否すれば、神の名のもとに“極刑”を宣告する。それが、歴史が物語る一神教の原則だ。

 幾多の戦いを経て、バルトの国々は一神教の神の国になった。だから、至るところに教会がある。教会は競って庶民から金を集め、彼らが住む社会という組織の進化を損なう。さらに神話で科学を縛り、神の国から出られないようにするのが普通だ。神の国から出ようとすると、悪魔とか魔女に仕立て上げ、それを徹底的に阻む。“それでも地球は回っている”と主張した、かつて司祭であったミコライ・コペルニクス。その遺体が発見されたのは2005年だ。それほど神の力は偉大だ。

kyokai2 「ヴィリュニス大聖堂」は1251年、十字軍の侵略から国を守るため、リトアニア大公(歴史上唯一の国王)ミンダウカスがカトリックに改宗して建てた教会だ。しかし、キリスト教徒を嫌う自国西部の頑強な抵抗や和解しようとしたリヴァニア騎士団からの画策もあり、最後にはキリスト教を棄教した。

 その後、幾多の戦乱や火災に見舞われながら、増築が行われた。内部には10を超えるチャペルがある。右の建物の屋根には、三体の聖人像が。ソ連時代には撤去されていたが、1996年に再設置された。

(つづく)

<プロフィール>
101104_kanbe神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。

 
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