東ヨーロッパには何があるのだろう(7)
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神と神の戦い
今でこそ、ローマカトリックが8割を占めるこの国も、もとはバルトの民による多神教で歴史を重ねた。13世紀に入ってキリスト教がこの地にもたらされると、そのさらなる拡大と帰依した民を護る名目で、異教徒を浄化する。それこそ“愛”だ。
その結果、1251年に初代リトアニア大公ミンダウカスは、自身の安泰と民を護るという名目でキリスト教に改宗し、旧来の神、雷神ペルクナースの神殿を壊して教会を建てた。
しかし、旧き神の意志を代行する人間も、たいていの場合、簡単にあきらめて妥協することはしない。ミンダウカスはそんな彼らによって暗殺され、自然の神々はその力を回復する。もちろん、一神教の神もさらにあきらめない。侵略の大義を回復したドイツ騎士団が再びこの地に、戦火という災いの種を蒔きにやって来る。騎士団の別名は“修道士会”とも言う。
それから130年余り、宿敵ドイツ騎士団との力関係の均衡のために1387年、大公ヨガイラは周囲の反対を押し切って、自然崇拝の象徴の神々信仰から再びカトリックに改宗し、さらにポーランド女王ヤドヴィガと結婚しヨーロッパ随一の強国となる道を選ぶ。いやはや、王であるがゆえに大変な人生である。
しかし、侵略者は相手がどんな手を用意してもそれを凌ぐ次の手を考える。改宗したヨガイラに対し、ドイツ騎士団は執拗に難癖をつける。異教の問題を解決すれば、彼らは次に背教者の烙印を持ち出す。その讒言を法王庁も認める。何という理不尽――。しかし、場所と事例を変えれば、このロジックは現代にも続いている。時の流れのなかで、やがてヨガイラはミンダウカス同様、改宗したカトリックを捨てる。それが、人間が神と違って、自己都合という意志を持っている証だ。カトリックが8割を超えた今でも、多神教の神は記念像としてこの地に残る。これもまた、旧き神の代理人の強かさだ。
時は移って1989年、独ソ不可侵条約締結50周年記念日に、旧ソ連からの独立を勝ち取ろうと三国の人々200万人が、それぞれの首都をつないでいる道路の路肩に車を止め、車から降りて600kmにおよぶ“人間の鎖”をつくったという。もちろん国道は通行できなくなり、そのニュースは世界中に配信された。
国ができてこのかた、1000年近く経っても、戦いは形を変えて続いているのだ。(つづく)
<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。関連記事
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