「獣の世」から「人間たちの社会」へ回帰!(3)
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お金を一方的に貰う者と払う者という構図
――先生は私たちが「分断社会」から抜け出すことができないのは3つの罠があるからだと言われています。詳しく教えていただけますか。
井手 「勤労国家レジーム」という負の遺産によって、今私たちは、まるでアリ地獄のような「3つの罠」に陥っています。
1つ目の罠は、「再分配の罠」です。結局、低所得層を救済するということは、彼らを「受益者」にすることに他なりません。一方、特定の層が受益者になるということは、その他の層、中間層や富裕層が「負担者」になるということです。つまり、お金を一方的に貰う者とお金を一方的に払う者という構図ができ上がるのです。
困っている人を助けるのはとても良いことです。電車やバスの中で、お年寄りや体の不自由な人に席を譲るべきであることは誰でも知っています。小さい時から、「困った時はお互い様だ」とも教えられてきたと思います。しかし、現実の政治や財政の世界ではそう単純にはいきません。これは自分が「負担者」となり、ある人が「受益者」となるということに対して、人間はどこまで寛容でいられるか、という究極の問題なのです。
年収200万円以下が2割、1,000万人に
今、全労働者のうち、非正規労働者が4割を超えています。その内、年収200万円以下が2割で1,000万人を超えました。所得は96年をピークに下がり続け、若い現役世代の平均貯蓄額は限りなくゼロに等しくなっています。つまり、決して裕福とは思えない現役世代が一方的に税金を取られ、そしてそのお金が貧しい人に与えられることになるのです。
その現役世代は貰える社会保障サービスも少なく、もし仮にお子さんがいない場合は、おそらく政府に何かをしてもらっているという受益感はゼロに等しいのではないかと思います。自分に受益感がなければ、当然既得権益に目がいくようになり、彼らに対する嫉妬や妬みが増幅していきます。中高所得層の低所得層への不信感、都市住民の地方住民への不信感、すなわち所得階層間や地域間の不信感は強まっていく傾向にあります。
自らが貯蓄することで、サービスを購入
2つ目の罠は、「自己責任の罠」です。歴史的に言って、日本は小さな政府の代表国です。勤労国家レジームの下で、子供の教育、医療、住宅、育児・教育、養老・介護等々、普通であれば、政府が提供するサービスが不十分であるため、自らが貯蓄することで、これらのサービスを購入してきました。私たちは、みんなで税金を払って生活を豊かにするのではなく、「自助努力」と「自己負担」を通じて自分と家族の生活を豊かにする道を選んできました。
しかも、2000年代になると支出の削減を正当化するために、すでに自己責任社会であった国民に対し、何度も「自己責任」という言葉が用いられるようになるのです。財政が傷つき、人々が生活面で困り始めた時に、さらなる自己責任化が求められたのです。この自己責任の冷酷なスパイラルが、人々が自分より弱者に対して、寛容でないばかりか、冷酷な仕打ちをする原因となっています。また「反知性的な言説の支持」や「排外主義」などもその延長線上にあります。
日本のように、政府が医療や教育の面倒を見ない社会では可処分所得が「将来の安心」を約束するすべてになります。そして、勤労国家レジームが作りだした自己責任社会では、成長が難しくなり、政府の果たすべき役割が大きくなる時に、成長への依存が高まり、政府への不信感も強まるという逆回転を始める傾向にあるのです。1990年代に経済成長へのさらなる依存が進み、空前の所得減税と公共投資が相次ぎ、財政赤字が急増したのはこの理由です。
正解は脱「成長」ではなく脱「成長依存」
このような時に脱「成長」を唱える経済学者の先生方もおられますが、それは間違いです。可処分所得が全てという現在の財政モデルで、成長を諦めることは、短期的に見れば、死ねと言われるのに等しいことを意味します。
ここで重要なことは現在の財政モデルから離れ、「なぜ、成長が必要なのか?」を再考してみることだと思います。その答えは簡単で「成長すれば、可処分所得が増えて、将来の不安を払拭できる」からです。つまり、成長は目的ではなく、本来の目的「将来の不安を払拭する」ことを達成するための手段に過ぎないことが分かります。では、「将来の不安を払拭する」手段は成長だけなのでしょうか。
脱「成長」と言った時に、日本の現在の財政モデルで成長が止まれば、国民にとって将来の不安がさらに大きくなることは明らかです。しかし、国民全員が痛みを分かち合い、医療、介護、住宅などのサービスを提供し合い、何歳まで生きても、将来失業しても、安心して生きていける新しい財政モデルを構築できれば、「成長、成長」と連呼する必要はなくなります。つまり、正解は脱「成長」ではなく脱「成長依存」なのです。無理に成長を止める必要も諦める必要もありません。しかし、経済成長が止まったとしても、人間が人間らしく生けていける社会、「人間の顔をした社会」を構築していく必要があるのです。
高齢者の利益ばかりが優先されることになる
3番目の罠は「必要ギャップの罠」です。人間は誰でも歳をとります。現役世代もいつかは高齢者になります。そこで、高齢者向けの給付については多くの人々が賛成します。問題なのは、現役世代向け支出については、高齢者の多くがそれを必要としない点です。例えば、子育てのためのサービスや住宅取得のための支援は、高齢者世代にとっては「過去のニーズ」です。この結果、民主主義的に言えば、数の上で「少数者」であるはずの高齢者の利益ばかりが優先されることになります。このことが世代間対立を強める原因になっています。
世代間の対立はニーズをめぐる価値のタイムラグによっても助長されます。現在の高齢者が若かった時は、妻が家に収まり、子育てや養老・介護を担当してきました。高齢者から見れば、現役世代に対する子育て支援は、「妻が子供をほったらかしにし、仕事に出ていった上、自分たちの税金を使いこむ」政策を意味することになります。
しかし、経済が委縮した今は、前提にある社会モデルが明らかに変貌を遂げています。「勤労者」に「自助努力」そして「夫が働き」、「専業主婦が家庭を支える」という保守イメージが、現実の社会状況と全く一致しなくなっているのです。このように、「必要」がズレることによって、生み出される対立の構図を「必要ギャップ罠」と言います。
(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
井手 英策氏(いで・えいさく)
慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。1972年 福岡県久留米市生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞受賞)、共著に『分断社会を終わらせる』(筑摩選書)、共編に『分断社会・日本』(岩波ブックレット)、『Deficits and Debt in Industrialized Democracies』(Routledge)など多数。関連記事
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