「獣の世」から「人間たちの社会」へ回帰!(4)
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強い者を妬み、引きずり下そうとする
――先生はこの「分断社会」を抜け出すために、「必要原理」という新しい理念を提唱されています。それは、どのようなものなのでしょうか。
井手 今、人々は将来に不安を覚え、生き苦しさに戸惑っています。政府は、空前の債務を抱え込み、財政破綻への恐怖にさいなまれ、歳出削減を至上命令としています。貧すれば鈍すと言うべきか、この政策課題を成し遂げるために選ばれたのが「恫喝の政治」であり、低所得層の負担を高めて受益を遠慮なく削る「低位均衡の財政」政策です。私たち日本人は、今、不幸が不幸を呼び起こす悪夢のような連鎖に翻弄され続けているのです。
小泉政権期には公務員や議員へのバッシングが巻き起こりました。また、安倍政権になって、生活保護の給付額は引き下げられ、診療報酬や介護報酬も抑制ないし引き下げられています。
このような状況の中で日本国民の間には、政治学者である丸山真男が「引き下げデモクラシー」と呼んだ状況がまさに起きてきました。引き下げデモクラシーとは、自分たちが向上しようとしないで、自分たちより恵まれた立場の人たちを引きずり下ろすことによって、溜飲を下げるというものです。
公務員の給与や人員削減、あるいは議員の定数削減などの批判はその典型です。ところが、猛烈なバッシングの一方で、あるアンケートによれば子どもに就かせたい職業の第1位は公務員です。まさに丸山の言った引き下げデモクラシーが起きているのです。
弱者が、より弱者を批判して糾弾する
ただ、私はこの「引き下げデモクラー」現象に加えて、新たに「押し下げデモクラー」現象も起こってきたことを感じています。それは、比較的貧しい人が自分よりさらに貧しい人たちを押し下げようとするものです。
例えば、働いている人の最低賃金が生活保護を受けている人の給付額を下回る場合、生活保護の給付額を引き下げろと大合唱が起こることを思い出して下さい。しかし、冷静に考えれば、この場合の解決策には、最低賃金を引き上げるという考え方も存在します。それにもかかわらず、貧しい人たちとより貧しい人たちの間に線を引き、最も弱い人たちを叩こうとする圧力が働きます。これは、「低位均衡」の例でもあります。あるいは、今、非正規社員のカップルで、経済的な理由で、結婚ができないとか子供が産めない人たちが増えています。その一方で、生活保護を受けている人たちは、公営住宅に住み、働かずに飲み食いができ、かつ子供もいます。さらに、自分たちが受けられないような高額の医療も、生活保護を受けている人たちは医療扶助で受けることができます。
そのため、「働きもせずに昼間から酒を飲んでいる、ギャンブルをやっている生活保護の受給者が、真面目に働いている自分たちが受けられない高額な医療を受けられるのはおかしい」というバッシングがあちこちで起こっています。これを私は「押し下げデモクラー」と呼んでいます。アメリカやイギリス白人低賃金労働者と移民労働者の対立も類似した現象かも知れません。これらは小さな政府に共通する傾向です。
私たちは「必要原理」という理念を提唱する
今まで色々とお話してきたこの日本社会を取り巻く閉塞状況を突破するために、市場原理に対抗する理念として、私たちは必要原理という理念を提唱しています。それは、現在の「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」へと転換、「救済型再分配」を「共存型再分配」に置き換えていくものです。これは、人間の歴史を貫く、「皆にとって必要であれば、皆に分配しましょう(広く負担を課し、広く給付する)」という考え方に基づいています。
必要原理に基づく再分配は、「低所得層の税をおまけする」ことに重点を置くような狭い意味の再分配ではありません。人間の生存・生活に関わる基礎的ニーズを財政が満たしていくというアプローチです。また、低所得層などの特定のグループを受益者にすることはしません。弱者救済という道徳的な正義感がむしろ足かせとなって、格差是正が置き去りにされてしまった歴史的現実を反省しています。
人々が尊厳を傷つけられることなく、安心して生活できるように、租税を通じたサービスを実現させます。経済成長の必要性は否定しません。しかし、あくまでもそれは必要原理に基づく変革の結果生まれる果実、という意味です。
中低所得層の新たな同盟が富裕層を包みこむ
格差が中長期的な経済成長にマイナスの影響を与えることを示す研究が近年蓄積されてきています。また格差を是正することで、教育水準や技能の向上など通じて人々の人的資本が蓄積され、経済成長が高まるという研究も進んでいます。実際に、経済格差の小さい国ほど、中長期的な経済の成長率が高くなり、成長の持続性も期待できることになっています。
しかし、いくらリベラルや左派の人たちが「格差を是正すれば経済は成長する」と訴えたとしても、日本国民に結果の平等に対する根強い反発がある限り、経済成長も、機会の平等も実現は難しいのです。私たちが「格差是正」を目的としない「必要原理」を重視する理由はまさにここにあります。中低所得者層の生活を保障し、経済が成長すれば、当然、高所得層にも利益が及びます。これはトリクルダウン効果とは反対の発想です。貧しい人たちや中間層が成長の原動力となり、それによって富裕層を包み込む。敢えて言えば、トリクルダウンならぬ、エンブレース(embrace)効果ということになります。富裕層を排除する必要はありません。中間層の利益を重視し、それによって可能となる中低所得層の新たな同盟が、富裕層を包みこんでいく。そんなぬくもりのある社会を目指すべきであると考えています。
世界的に見れば、低所得者への「弱者救済」ではなく、中間層も含めて広くサービスを提供できている国の方が、統計的に見て税収が大きくなっています。政治的多数が受益者になって、自分の必要を満たしてくれるので、税金への抵抗が弱まるのです。
(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
井手 英策氏(いで・えいさく)
慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。1972年 福岡県久留米市生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞受賞)、共著に『分断社会を終わらせる』(筑摩選書)、共編に『分断社会・日本』(岩波ブックレット)、『Deficits and Debt in Industrialized Democracies』(Routledge)など多数。関連記事
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