筑紫女学園新理事長(?)長谷川裕一氏解任の勧め(5)~突進力による最後の仕上げ2作
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まずはアジアビジネスセンター設立
筑紫女学園すべての関係者の皆さん!!今から仏壇・はせがわの中国事業に触れますが、実態を知れば、皆さんは必ず笑い出すはずです。
中国・福州・天津両市に総合アミューズメント事業の会社を立ち上げたことは、報告しましたね。福州長冠保齢球娯楽有限公司を設立させ、天津利徳実業発展有限公司には資本参加しました。中国でパンの製造・販売会社「小楽意食品」を設立,資本金7,500万円でした。1997年8月から、北京市内に小売店2店をオープンしたのです。また、北京で駅弁事業もスタートしています。中国のことを少しかじっておれば周知のことですが、利権をもらうには、莫大な資金がかかるはずです。パン屋ならいざ知らず、駅弁事業には笑ってしまいますよね。結果は当然のごとく、成功しなかったということです。
長谷川氏の頭のなかには、「さー我が社は中国、ベトナム、ミャンマーに進出した。アジアの時代だからさまざまな会社も進出を検討するであろう。この海外進出案件をコンサルする会社が必要だ」と思いをめぐらせたのだと想像します。この構想の下に、1995年12月、(株)アジアビジネスセンターが設立されました。設立した際の資本金は4億8,000万円です。ちなみに、ちょうどその1年前に設立した我が社の資本金は1億円であります。必死で集めました。その5倍近く調達したことに、敬服したのです。
この資本金調達の立役者はもちろん、長谷川裕一氏であります。当時の役員名簿を見てください。代表取締役会長は高田工業所社長の高田賢一郎氏です。代表社長は滝本憲二氏。この人は新日鉄に入社して、最後はスペースワールドを立ち上げ、ダイエー顧問となり、ツインドームシテイ(現・福岡ドーム)副社長を歴任していました。この人事スカウトの中心役も長谷川氏だったようです。長谷川氏は非常勤取締役に就いており、親しいメンバーが取締役に就いています。
資本調達先は、地場トップから中小企業まで多岐にわたっていますが、九州電力などの最高クラスの企業から出資を仰ぐことができていません。当時は、九電をトップにした地場財界の集まりである『七社会』からは、熱烈な援助が受けられませんでした。「その点が、長谷川氏の財界活動での影響力の限界だ」と、当時から察知していたのです。この資本金集めには、社長になった滝本氏も奔走しました。しかし、数多くの株主を集めた功績は、長谷川氏だったのです。
1期目から5,000万円の赤字
この会社はスタート時から、『船頭多し』の状態でした。資本金が4.8億円あるので、役員クラスはまったく危機感がなかったのです。東京出張にはファーストクラスを使うほどに、経費には無頓着でした。1人ならともかく、12名の社員たちが「日銭稼ぎ」を意識しないのであれば、4.8億円は一瞬にしてなくなります。本当の経営者であれば、本能的にわかるはずです。この会社は1期目から5,000万円の大幅赤字を出して、大ごとになりました。この赤字の経営問題は、長谷川氏には直接の責任はありません。
福岡空港から新航空会社が飛び立つ
『宮崎空港から東京へ、鹿児島空港から東京へ!!』と九州の空港から東京・羽田に飛んで業績を伸展させている航空会社として「スカイネットアジア航空」(現社名・ソラシドエア)があります。一度、事実上の倒産となりましたが、見事に再生を果たしました。この会社の発祥の地が福岡であることをご存知の方は少ないでしょう。社名はパンアジアで、1997年7月に設立されています。福岡ではこの会社を守りきれずに、宮崎へ飛び出させてしまったのです。惜しいことをしました。
1999年2月1日(月)に弊社が発行した「I・B405号」の記事から引用してみましょう。昨年(1998年)は9月に国内定期航空路線では35年ぶりに新規参入となるスカイマークエアラインズが羽田=福岡線に就航、また12月には北海道の企業が中心になって立ち上げた北海道国際空港(エア・ドウ)が羽田=札幌(新千歳)線に就航するなど、航空新時代の幕開けなった。両航空会社とも既存大手の半額料金を実現、地元経済や人々の利便性の期待を受けながら、順調な滑り出しを見せているようだ。
そして、これらに続くべく現在準備を進めているのが、福岡空港を拠点に、アジアへの新しい“道”を築かんとするパンアジア航空(株)である。「アジアのゲートウェー」と謳われて久しい福岡・九州だが、経済、情報、文化、人的交流のすべてにおいて、ゲートウェーと言えるほどの実質を成していない現状がある。九州主導型の航空路線ができることは、その意味で大いに期待されるのは間違いない。
ところが地元の反応は思いのほか鈍く、資金集めは難航、当初の就航予定(1999年4月)が2000年春に延期になるほど課題も持ち上がってきている。果たして、パンアジア航空は真に九州とアジアを結ぶ基幹路線となりうるであろうか。記載してある通りに、スタートから悪戦苦闘していたのでした。行政は『アジアの玄関口』と公言しますが、何らインフラ整備の資金を出すこともしません。また17年前の福岡には、まだまだ『中核国際都市』と自認するほどの都市力はなかったのです。だから、パンアジア航空を宮崎に送り出してしまったのです。
このパンアジア航空の資本金集めにも、長谷川氏のパワーは最大限発揮しています。今回の第5回目の記事が、絶頂から衰退期に落ち初めの期間です。この間に、長谷川氏の持ち味=突進力で、(1)アジアビジネスセンターの設立、(2)パンアジア航空の設立資金づくり、の大役をこなしました。長谷川氏にとって、突進力を生かしたこれらの大事業が、最後の仕事になったと思います。
筑紫女学園の関係者の皆さん!!攻めれば守る時期が襲ってくるのは法則です。次回、第6回目からは、今まで述べてきた事業の尻拭いをできない、滑稽な連続ドラマに突入します。よく理解するためには、前回の第4回目の記事に添付した、仏壇・はせがわの売上・収益の推移をよく読んでいてください。お願いします。
(つづく)
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