2024年11月26日( 火 )

東ヨーロッパには何があるのだろう(25)

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タリンの街

 タリンをつくったのは、十字軍を率いて侵攻したデンマーク王バルデマー2世だ。しかし彼は、征服地をさっさとドイツ騎士団に売り払って、引き揚げたという。起業してそれを売り払う――。何だか、現代の事業にも似ている。

 しかし、ハンザの盟主として繁栄したタリンも、他のバルト2国とともに、ロシア、ナチスドイツ、ソ連に蹂躙される。独立した今でも、その人口の半分近くがロシア人であり、公用語のエストニア語とロシア語が拮抗する社会になっているという。
 ロシア人が半分というのは、何かことがあればロシアが、“自国民保護”の大義名分で侵入することも大いにあり得るということである。小売りの売上と同じく、それなりのボリュームがなければ先行きが危ういというのは、何ともはや考えさせられる。

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イタリアからのクルーズ船。デッキには大勢の人

乗客は旧市街観光にシャトルバスでピスント輸送。バス停には観光バスもやって来る<

乗客は旧市街観光にシャトルバスでピスント輸送。バス停には観光バスもやって来る

ジェノバ本拠の旅客船会社「コスタクルーズ」

 大型クルーズ船がタリン港に停泊している。「AIDA Vita」ジェノバ――。

 船名と母港名を見て思い出した。この船会社は、一世を風靡した“あの”コスタクルーズの船だ。座礁後、「お前は今どこだ?何だと、船に戻れ!」と、真っ先に救助艇に乗り込んで沿岸警備隊から一喝されたという船長で有名になった、あの船会社だ。

 「さすがイタリア!」と、感心している場合ではない。そういえばその昔、我々はこの国と軍事同盟を結んでいた。
 そんなクルーズ会社の船だが、事故後も相変わらず人気があるようだ。船のデッキには、多数の人。一見、総トン数4万トンクラスの客船。おそらく1,000人以上が乗っているのだろう。
 さすがイタリア人、何があっても“俺は俺”。許容のふところの深さが、我らが“ヤマトンチュ”とは違う。

(つづく)

<プロフィール>
101104_kanbe神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。

 
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