フォークソングの聖地「つま恋」の生みの親、川上源一氏の素顔(前)
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ヤマハ(株)は9月2日、国内の滞在型リゾート施設の草分けで、「フォークソングの聖地」として知られる子会社運営の「ヤマハリゾートつま恋」(静岡県掛川市)の営業を12月25日に終了すると発表した。今後、他社への売却を進める方針。これでヤマハは事業多角化の過程で膨らんだ負の遺産の処理を終了。ヤマハの文化発信基地の役割を担った「つま恋」は、42年の歴史に幕を下ろす。
夜に大音量を流す野外コンサートが困難に
ヤマハ(株)が100%出資する事業子会社である(株)ヤマハリゾートが運営する「つま恋」は1974年5月に開業。140万m2の敷地に、ホテル2棟(計232室)と音楽ホール、スポーツ施設などが備わっている。
営業を開始した翌年の75年、フォークソング全盛期を築いた吉田拓郎さんとかぐや姫が夜を徹してコンサートを開催。集まった6万5,000人を熱狂させた「伝説のコンサート」として、「つま恋」を一躍有名にした。
また74~86年に開かれ、新人歌手の登竜門とされた「ポプコン」(ポピュラーソングコンテスト)では、中島みゆきさんや佐野元春さん、CHAGE and ASKAらを輩出。ミスターチルドレン、サザンオールスターズらもライブを行った。近年は、野外音楽イベントに対する見方が厳しい。オールナイトで盛り上がるのがウリだったが、今は近隣からの苦情で、夜に大音量を流すのが難しくなった。施設の老朽化で宿泊料金が低下、16年3月期の売上高は31億円。近年は数億円規模の赤字経営が続いていた。
「つま恋」の生みの親は、ヤマハ“中興の祖”川上源一氏
「つま恋」は、大型野外コンサートの発祥の地である。つま恋の生みの親は、ヤマハの“中興の祖”川上源一氏だ。ヤマハといえば川上一族だが、創業家ではない。
創業者は、天才的な発明家だった山葉寅楠(やまは・とらくす)氏。独力で国産第1号のオルガンを製作した。1889(明治22)年、山葉風琴製造所を創業。ヤマハの社名は、山葉の名字に由来する。97年、日本楽器製造(株)(現・ヤマハ(株))を設立。1900年にヤマハピアノの製造に着手した。
1916年に山葉氏が亡くなると経営が混乱。労働史上に残る大争議が勃発し、会社は倒産寸前に追い込まれた。このとき、再建を托されたのが川上嘉市氏である。嘉市氏は、東京帝国大学工学部を銀時計(首席)で卒業。住友財閥の(株)住友電線製造所(現・住友電気工業(株))の取締役から転身。1927年、42歳のときに、日本楽器製造の社長に迎えられた。
戦後の49年、嘉市氏は病に倒れたため、翌50年、社長の椅子を長男の源一氏に譲った。社長になったとき、源一氏は38歳の若さだった。源一氏は成績が悪く、受験に失敗、高千穂高等商業(現・高千穂大学)に情実で入った。東大を首席で卒業した父親から「バカ呼ばわり」されて育った。源一氏は『私の履歴書』(日本経済新聞社)に〈父から「勉強せよ、勉強せよ」と叱られっぱなしだった〉と書く。
(つづく)
【森村 和男】法人名
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