2024年12月28日( 土 )

今、インド社会を根底から覆す改革が進行中!(1)

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(株)インド・ビジネス・センター 代表取締役社長 島田 卓 氏

 英国の著名な経済学者であるアンガス・マディソンの統計によれば、19世紀初めまでは中国とインドが世界のGDPの半分近く(1820年の統計で29%を中国、16%をインド)を占めている。今後の世界経済を考える場合でも、世界人口の約4割を占める中国とインドを中心に、アジアが世界の中心的存在になる「リ・オリエント」のシナリオは変わらないという経済学者は多い。その中国とインドであるが、昨今は明暗を分けている。中国の経済成長率は2015年6.9%で16年は6.7%の減少予測に対し、インドは15年7.3%で、16年は7.8%の拡大予測となった(世界銀行「世界経済見通し」16年1月公表)。
 では、今後大きな発展が見込まれるインドと日本は現在、どのような経済関係にあるのか。その両国の未来には、どんな青写真が描けるのか。インド政財界に幅広いネットワークを持つ、インドビジネスの第一人者の島田卓氏((株)インド・ビジネス・センター代表取締役社長)に聞いた。島田氏によると、今インドでは、14年就任のナレンドラ・モディ首相の下でインド社会を根底から覆す大改革が進行中であると言う。

仏様からのお導きだったのかもしれません

 ――先日のセミナーではお世話になりました。インドの今に触れる機会がなかったので、大変に勉強になりました。ところで、先生とインドとの関係は25年におよぶと聞きます。まず、そのご縁から教えていただけますか。

 島田卓氏(以下、島田) 私は1972年に東京銀行(現在の東京三菱UFJ銀行)に入行、本店営業部、ロサンジェルス支店、事務管理部などで仕事をしていました。その頃は自分の人生のシナリオにインドはありませんでした。インドに転勤する前の5年間は、関西勤務(大阪支店と船場支店)でした。東京に戻され、海外転勤の話が出たとき、「やった、ヨーロッパ支店で働ける」と思ったところ、ヨーロッパに向かう飛行機燃料が半分ぐらいのところで降りる羽目になり、その地がインドだったのです。
 関西勤務時代は、年に数回は京都に行き、お寺参りをしていたので、もしかすると、インドから日本に渡ってきた仏様のお導きだったのかもしれません。

度胆を抜かれたのは彼らの輝く目でした

india 私がインドに赴任したのは、1991年です。湾岸戦争の真っ最中で、外貨不足からインドの経済は破産寸前の状態だったときです。インディラ・ガンジー国際空港に着陸寸前の空から見たデリーの町並みには、わずかばかりの明かりが点在するだけで、世界第2位の人口を有する国から創造するダイナミズムは、まったく感じられませんでした。はたしてこんな様子を呈する国でビジネスが成り立つのだろうかとの不安がよぎり、暗澹たる思いになりました。

 空港を出た途端、むっとするような臭気のなかで、どこから集まってきたのか、物乞いをする老人や女性。荷物運びでその日の食事にありつこうとする人たち。そのなかにもたくさんの若者がいました。おそらくまともな職業に就けず、その日暮らしをしているのだと思いますが、度胆を抜かれたのは、彼らの輝く目でした。極貧とも言える境遇のなかで生活し、明日どんな人生が待っているかもわからぬなかで、精一杯今日を生きていこうという意志の現れのようなものが見て取れ、背筋が寒くなったことを今でも鮮明に覚えています。そこには、当時すでに日本の若者が失っていたかもしれない、生への飽くなき挑戦心がありました。

社会主義的経済を脱却、経済自由化に踏み切る

 着任早々の91年3月6日には、チャンドラ・シェカール首相が辞任(就任してわずか4カ月)して、インドは総選挙へ突入しました。さらに、次期首相と目されていたラジブ・ガンディー(国民会議派党首)も総選挙の渦中に暗殺されました。その後、6月の総選挙で、国民会議派の後継総裁ナラシマ・ラオがインドの新首相に任命されました。

 このラオ新首相は、今までのインド経済の舵を180度転換してしまうほどの経済改革を行います。すなわち、ネルー初代首相がソ連を模倣して導入した社会主義的経済を脱却し、経済自由化に踏み切ったのです。その際、蔵相に任命され、新生インドの舵取りを任されたのが、英国で教育を受け、インド中央銀行総裁にもなった経済学博士のマンモハン・シン前首相です。その結果、インド経済は見事に立ち直りました。
 私が着任した91年の夏、経済的危機に見舞われた時のインドの外貨保有高はわずか11億ドルでしたが、それが今や3,250億ドルを超え、世界のベスト5を狙える位置にまで来ています。

東京銀行と三菱銀行の合併を機に独立した

 その後、私は約4年のインド勤務を経て、本部アジア・オセアニア部次長(中国を除く、ニュージーランドからパキスタンまでを担当)として東京に戻りました。そこでは、ニュージーランドのウェリントン支店開設、インドのチェンナイ支店開設やパキスタン合弁会社の増資案件などを扱っていました。
 ところが、96年に東京銀行が三菱銀行と合併することになりました。私は違った人生も経験してみたく、それを機に97年に退職し、(株)インド・ビジネス・センターを設立。現在に至っています。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
simada_pr島田 卓(しまだ・たかし)
 1948年生まれ。明治大学商学部卒。72年東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。本店営業部、ロサンジェルス支店、事務管理部、大阪支店を経て、91年にインド・ニューデリー支店次長に着任。約4年間インドに駐在。97年同行を退職、同年4月に(株)インド・ビジネス・センターを設立し、現職に。東京商工会議所の中小企業国際展開アドバイザー。
 著書として、『インドビジネス脅威の潜在力』(祥伝社新書)、『スズキのインド戦略』(監訳、中径出版)、『トヨタとインドのモノづくり』(編著、日刊工業新聞社)、『日本を救うインド人』(講談社)、『インドがわかる本』(廣済堂出版)、『インドとビジネスするための鉄則55』(アルク)など多数。TV出演、講演等として、NHK「クローズアップ現代」、「Biz スポワイド」、NHKワールド「ASIA 7 DAYS」、BSフジ「LIVE PRIME NEWS」など多数。

 
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