2024年12月23日( 月 )

大人として、デモクラティックに生きる!(4)

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専修大学法学部 教授 岡田 憲治 氏

政治権力を移行させるシステムを維持している

 ――現在、日本の民主主義(デモクラシー)は諸外国などと比べて、どの程度のレベルにあるのでしょうか。

 岡田 100満点で落第点だった戦前と比べれば、曲がりなりにも50点ぐらいは取っているのではないかと考えています。民主主義への不満は尽きないものです。しかし、世界の人口の5分の1を占める中国では、これまでただの一度もデモクラシーが導入されたことはありません。また、議会の母国イングランドで大量のエリートが教育を受け、本国でもその伝統をエリートが継承しているインドですら、社会的カースト差別によって、十全なデモクラシーが機能しているとは言い難いものがあります。つまり、合わせると世界の人口の4割を占める両国でデモクラシーは存在しないか脆弱です。
日本が「自分たちの力で政治権力を整然と移行させるシステムを維持している」数少ない国であることだけは、世界に向かって胸を張っていいいと思います。

民主党政権誕生は日本政治史上画期的であった

kokkai 岡田 そうは言っても50点なので、問題点はたくさんあります。これからその中味を(1)「できていること」と、(2)「隠れた問題」の2つに分けてご説明申し上げます。

 できていることの1つ目は「政権交代」です。昨今は、安倍政権がこれまでの議会政治のルールや慣習を公然と無視した強引な政治を進めているにも拘わらず、野党の民進党への支持率は上がっていません。それは、一般の有権者の間に、2009年の民主党政権誕生が何であったのか、何をもたらしたのかが今一つきちんと伝わっておりませんし、その意義も共有できていないことが大きな原因のように思えます。
 しかし、痩せても枯れても自力で政権交代が実現できたことは事実です。2009年の民主党政権誕生は、衆参両院で過半数を獲得した単一の政党による政権奪取として、日本政治史上画期的なできごとでした。この政権交代は、有権者が「統治構造を変えよう」という意識を集合的に持ったことを意味しています。

戦後70年の夏に参加型の政治的行動が起こった

 岡田 できていることの2つ目は、「デモの日常化」です。諸外国では「デモをすることそのもの」を反対したら大変な騒ぎになります。ところが、残念なことに、21世紀に入ってもなお、「デモをする思想信条の自由」という基本的権利が日本社会では血肉化していません。

 しかし今回「安保法制」施行反対に関して、シールズ(SEALDs)という学生団体が整然とデモを行いました。シールズの行動は、動員された運動ではなく、主体的な「参加」運動です。彼らは、21世紀の極東の島国に生まれた「子どもの頃からただの一度も経済成長の実感なしに育ってきた」ポスト成長時代の普通の若者です。当の公安当局が「彼らは、新左翼暴力団とは無関係な、礼儀正しい若者ですよ」と公言しています。これは文字通り、画期的なことです。戦後70年の夏に、こうした参加型の政治的行動が強いテンションで起こったことは、日本が民主政治を運営している世界の国々に引けを取らない成熟度を持っていることの証左でもあります。

69万7,000票を取りながら、落選する理不尽

 岡田 隠れた問題の1つ目は、選挙制度に関する「一票の格差」問題です。2010年の参議院選挙において、鳥取選挙区では15万8,000票で自民党候補が当選しています。一方で、神奈川選挙区では、69万7,000票をとった元法務大臣が落選しました。その差は、何と53万9,000票になります。これはとても理不尽なことです。それは選挙において、50万票をとるということは大変なことだからです。
この選挙制度に関する問題は、この他に「供託金制度」問題などまだたくさんあります。

ひいては社会そのものが崩壊してしまうのです

 岡田 隠れた問題の2つ目は「格差」問題です。先に、「平等」に関する話を主として「権利」の問題として取り上げました。すなわち、「民主主義では、誰もが平等なメンバーであることが権利として認められなければならない」ということでした。

 ここでは「平等」を民主政治の社会的条件としてお話します。社会の在り方が、どのように民主政治に良き影響を与え、悪しき足かせとなるのか。そして、社会的な格差や貧困は民主政治にどのような影響を与えるのか。
 ひどい格差は「もう何をやっても仕方がない」という厭世的な心情を拡大させ、自分たちの社会を風通しよく運営していく基本的要望を失わせてしまいます。ひいては、話はデモクラシーでも何でもなくなり、社会そのものが崩壊してしまうのです。
 民主政治の社会的諸条件に関する「平等」の問題は、この他に「メディアと広告の1極構造化の問題」などまだたくさんあります。

デモクラシーの「岩床」の厚さが違います

 岡田 最後に少し分かりやすい具体例をお話します。かつてアメリカのAFN(世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局、1997年まではFENと呼ばれていた)では、湾岸戦争の最中に、UCLAで行われたティーチ・イン「湾岸戦争に反対する学生と賛成する学生の学内討論会」延々と中継しました。自分たちの国家がコミットしている戦争の是非を考える討論会を軍関連の放送局が放映したのです。それはどういう意味を持つのでしょうか。

 自分の関わる社会との差に愕然としますが、これをデモクラシーの「岩床」と言います。常に国民がデモクラティックに生きているので、湾岸戦争の話であろうと、合衆国憲法の話であろうと、自分の住む地域の小さな消防署の話だろうと、皆等しく国民が情報公開を政府に要求しているのです。

 2014年に日本では「特定秘密保護法」が施行されました。その際の議論の中で、「秘密保護法」はアメリカはじめ多くの先進国にあると言う説明もなされました。しかし、デモクラシーの「岩床」の厚い国で運営される「秘密保護法」と日本で運営されるそれは似て非なるものと言うことになります。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
okada_pr岡田 憲治(おかだ・けんじ)
1962年、東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)専修大学法学部教授。研究対象は、現代デモクラシー思想、民主政治体制、関心領域は、民主政の基礎条件、アジア・太平洋戦争史。著書に『権利としてのデモクラシー』(勁草書房)、『言葉が足りないとサルになる』、『静かに「政治」の話を続けよう』(いずれも亜紀書房)、『働く大人の教養課程』(実務教育出版)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)
『デモクラシーは、仁義である』(角川新書)、共著として『「踊り場」日本論』(晶文社)など多数。

 
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