2024年11月24日( 日 )

「サロン幸福亭ぐるり」は、現在認知症天国(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

大さんのシニアリポート第47回

 私が主宰する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)で、またまた入亭者が認知症になり、スタッフは全員悪戦苦闘。つい半年ほど前まで、問題行動を起こすそぶりも見せなかった中井夫妻が突然、豹変した。そこに、久方ぶりに顔を見せた赤羽さん。元気だった頃の表情が一変。なにやらぶつぶつと呪文のような声で独り言をつぶやく。いやはや「ぐるり」は現在認知症天国。食傷気味かも知れませんが、少しばかりおつきあい願います。冗漫勘弁。

i3 2週間ほど前、中井吉乃さん(86歳・仮名)が、突然「お父さんの自転車を盗まれたの」といって入ってきた。それ以前から、自転車の盗難を再三口にしていたので気にはしていた。そのときは新車を購入。ところが、買ったばかりの新車も盗難に遭ったというのだ。おかしい。そういえば最近、夫の中井要蔵さん(93歳、仮名)の顔が見えない。元気だというが、93歳の超高齢で自転車に乗ることに不安を感じていた矢先の盗難事件である。ここ幸いと、「自転車に乗ること止めた方がいい」と吉乃さんに伝えた。彼女は笑顔を見せるばかり。

 数日後、「戻ってきた」と吉乃さん。「警察から連絡があったんだ」という。「そうじゃないみたい」という。後に判明したのだが、高木要蔵さんは朝食後、自転車で駅前の公園に行き、そこで好きな煙草をくゆらせながら、ぼんやりと過ごす。昼食は行きつけの中華屋で済ますこともあれば、食べないことも多い。それから、駅前にあるUR団地の事務所に行き、女性の団地マネージャーと話をする。それから再び公園で過ごし、自転車で帰宅するのを日課としていた。

 彼に異変が生じた時期と、女性団地マネージャーが、両親の介護のために辞職した時期と符合する。彼女のいない事務所の前でしばらく待ったあと、寂しそうにして帰っていくと事務員に聞いたことがある。自転車の盗難事件はその頃からである。実は盗まれたのではなく、事務所や公園の自転車置き場に置き忘れ、そのままバスで帰宅していたのだ。翌日、いつのもように集合住宅の自転車置き場に行くと自転車がない。「盗まれた!」となる。バスで公園に行くと、自分の自転車がある。当然のように自転車に乗り、事務所に向かう。女性団地マネージャーとの会話が、要蔵さんの生きる糧となっていたのだ。彼女の退職が要蔵さんの心に隙間を空けた。
 それからは、「盗難」と「発見」が交互に訪れた。盗難時、バス代がないといって、妻に無心するようになった。「ぐるり」の扉の前で吉乃さんを手招きする。気づいた吉乃さんが扉の外に出てひとこと三こと。財布から紙幣を出し手渡す。ある日、吉乃さんが「ぐるり」にいない。窮した要蔵さんは、スタッフのひとりから1,000円借用。数日後、要蔵さんに返金を求めたものの、記憶にないといわれ、がく然とする。ある日、吉乃さんに伴われて入室した要蔵さんが、別の人に返金しようとし、スタッフに咎められて本人に返金した。それからも異変がつづく。それまでの要蔵さんの話は、同じことを繰り返していたのだが、不思議に辻褄(つじつま)があった。しかし、近頃の要蔵さんの会話は、不必要にアチコチ飛び、話がつながらない。ついでに息も続かない。会話中に所在ない目線を空間に泳がせることが多くなった。そして、「生活費に困っている」という話が飛び込んできた。

i4 わたしは社会福祉協議会に連絡を取り、介護福祉士で介護支援専門員に相談。中井ご夫妻と相談員、それにわたしと4人で話し合うものの、「金には困っていない」の一点張り。傍らの吉乃さんは、終始無言を貫く。社協には、食糧で支援する「フードバンク」と、具体的に生活費を貸し出す支援の方法があるという。究極のセーフティネット生活保護も、本人が窓口に出向いて申請しなくては受給できない。今の時点ではどちらも難しい。それはみずからの窮状を認めないからだ。いかに認知症が進んでも、人間には「プライド」だけは残される。それが現状認識を阻むという。中井夫妻の場合、本当に食えなくなって、他人に助けを求めるようなギリギリの状況を示す以外に救助の方法は見つけにくいという。緊張感をもった周囲の目が必要とされる。タイミングを逃せば、最悪の事態を招きかねない。

 問題が生じた。その後、借金の申し込みがないと不思議に思っていたとき、スタッフのひとりが中井夫妻に生活費として数万円援助していたという事実が判明した。「だって、かわいそうじゃない。見て見ぬふりなんてできないわ」といった。わたしは即座に注意した。「そのことが中井夫妻の問題解決を先送りすること」という認識がそのスタックにはない。公的な支援を得るには、公的な条件を整える必要がある。困ってない状況を作り続ければ、いつまでたっても公的支援を受けることができない。そこが分からない。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
(46・後)
(47・後)

関連記事