2024年12月22日( 日 )

新体制で新しい風が吹く!同族外承継でさらなる飛躍へ(後)

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(有)二鶴堂

hakatanohito失敗を恐れずチャレンジ

 そもそも同社の「博多の女」は、スタンダードな味以外の商品はなかった。発売40周年記念として「ハチミツレモン味」を発売することがあったが、あくまでもアニバーサリーとして出した。他のフレーバー(味)で発売すれば、スタンダードな味の商品が売れなくなり、「ブランドを毀損させる可能性がある」という理由で長らく認めていなかった。しかし、真木社長は先代らの反対を押し切り、発売に踏み切った。パッケージも博多人形の上品な和装のイメージから、ジーンズを着こなしたカジュアルな女性のイラストに一新。常に環境の変化と顧客ニーズを見極め、価値を創造し、新しい物を作るために失敗を恐れず情熱を注ぎチャレンジした。

 その結果、爆発的なヒットを生み、昨年2月の発売から1年間で累計約3億5,000万円を売り上げた。懸念されたスタンダードな味の売れ行きも落ちることはなかった。そのほか、定番商品の「博多バームスティック」(各種)も1年間の売上高が約5億7,000万円となり、同社の売上の柱となっている。この博多バームスティックも、次世代経営塾で生まれた商品。7年前、事業承継を見据えて立ち上げた塾の成果が出て来ている。

後継者育成10年計画

 「次にさせるもの(経営者)に、きちんと橋渡しができること。それができて初めて経営者として合格」(橋本会長)。橋本会長自身も、事業承継の際は困難の連続だった。
 兄の満徳氏は平成3年(1990年)年に入って肝臓癌により入院。余命1週間から1カ月という信じられない宣告を受けた。それまで橋本会長は経理一本で、主婦業の傍ら家業を手伝ってきただけ。現実を受け止めるには、余りにも残された時間が少なかった。だが、兄はその後、奇跡的に5カ月間延命。その間に兄がやりたかったこと、夢などを聞くことができた。その後他界し、何から手を付けてよいのかわからない状況で、自分がわからないことを理解するために、給料のほとんどを勉強のための投資に充てた。

 平成6年(1993年)には「博多21の会」に入会。200人の社長との出会いをはじめ、がむしゃらに経営者になるための経験を積んでいった。赤字は3年で見切り、新商品のアイデアは社員全員で考えた。「金残すは下・事業残すは中・人残すは上」と、尊敬するタナベ経営の田辺 昇一社長の言葉を借りて、自分が社長になったときから、常に次世代にどう残していくかを考えながら経営を行っていた。

 そこで出たのが、「後継者育成10年計画」。30代のブレーンをつくり、不況時には全員経営、そして次世代経営塾をジュニアリーダー全員に受けさせたことにつながる。「人生成功の秘訣は、成功するまで挑戦し続けること。経営は環境適応業、失敗のない成功はない。かの発明家のエジソンも電球開発に1万回の失敗があった。私には『日本一たい焼』のフランチャイズ事業で30店舗を潰したノウハウがあります。創業者で成功する人は1万人に1人。後継者で成功するのは100万人に1人。芸能人は1,000万人に1人です。芸能人になったつもりで、美空ひばりさんの成功の難しさを思えば、何てことはありません」と橋本会長は語った。

 「ピンチとチャンスは同じ顔。どう捉えるかは自分次第」。このマイナスをプラス思考に変える考え方を持っているからこそ、人財が育っている。10年後、20年後、そして100年後も業界に新風を巻き起こし、飛躍する同社に期待したい。

(了)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:橋本 由紀子
所在地:福岡市東区馬出6-15-21
設 立:1952年12月
資本金:4,100万円
TEL:092-621-8881
URL:http://www.nikakudou.co.jp

<プロフィール>
hasimoto_pr橋本 由紀子
72年に(有)二鶴堂に入社。社長を経て15年10月に代表取締役会長。

<プロフィール>
maki真木 聡
統括部長を経て13年から副社長就任。15年10月に取締役社長に昇格。

 
(前)

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