実業家として、ライオンとして―中国と日本、両国の輝ける未来に貢献する(前)
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勉学・仕事に励み、事業を興す
光華商会株式会社代表取締役周光華氏(以下、周代表)は、学業を修めるため、19歳の秋に初来日を果たした。2016年10月18日で、日本生活26年目を迎える。当時の所持金は、わずか5,000円だったという。生活のため、中華料理店の調理場、那の津ふ頭の工場など、掛け持ちでアルバイトに勤しんだ。疲労からくる眠気に抗いながら、一所懸命に下関市立大学で勉学に励み、見事、同大学を卒業した。
卒業後は、学習意欲の高さから北九州大学への進学を決意。こちらも無事に卒業し、修士号を得た。大学院卒業後の1年間は研究生として、お世話になった教授の手伝いをしながら過ごしたという。「1990年当時、日本に留学するというのは夢のような話でした。まして、私費留学というのはほとんどありませんでした。だからこそ、私ははっきりと分かる形で成果を残すまで、中国には一度も帰りませんでした。初めて帰ったのは、下関市立大学を卒業した時です。両親に卒業報告をするために、2年以上ぶりに一時帰国しました」(周代表)。
学業を修めた周代表は、友人が興した北九州市内の商社に就職。2年間そこでみっちり仕事を学んだ後、28歳の若さで独立した。
「セントラルアジアンサービスという会社を起ち上げました。日本の中古車を中国経由でアジアに輸出するという事業を主体にした会社で、その分野では日本一の企業にまで成長させることができました。好調な時で、月に3億円を売り上げました。日本の中古車を中国までコンテナ輸送し、中国で貨車に積み替える。難しいのは、貨車で輸送する際に通るトンネルのサイズとコンテナのサイズの兼ね合い、中国の線路からカザフスタンの線路へ切り替わる際の輸送コンテナ積み変えの手配です。これらを調査し、課題をクリアできたのが成功の要因だったと思います」(周代表)。
若き企業家として成功を収めた周代表。当時世界第3位の海運会社との独占契約も結び、順風満帆に見えたが、周代表は2年で会社を閉じた。
「有力輸入先だったカザフスタンが、国の政策で右ハンドル車禁止になったのです。事業を続けることもできましたが、やめることにしました」(周代表)。(つづく)
【代 源太朗】<COMPANY INFORMATION>
■光華商会(株)
代 表:周 光華
所在地:福岡市中央区舞鶴1-9-3■大連事務所
住 所:中国大連市沙河口区民勇大厦918室
所在地:+86-411-84506718関連キーワード
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