山口銀行「支店長」死を賭して諫言~下関ゴルフ倶楽部の実態(前)
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下関ゴルフ倶楽部のメイン銀行は山口銀行豊浦支店。その豊浦支店長だった浦喜智嗣氏は、今年7月の三連休の最終日だった海の日の18日(月)、自宅近くにある墓地の前で自らの命を絶ち、53歳の若さで非業の死を遂げた。
既報の『山口銀行豊浦支店長が自殺』、『山口銀行の「支店長」自殺の真相に迫る~死を招いた定款変更(前・後)』のとおり、浦喜支店長を死へと追い詰めたのは、山口銀行が私物化した下関ゴルフ倶楽部のクラブハウス建設資金にまつわるものだった。
その後も取材を続けていると、ある事情通から、『上司の執拗ないじめも自殺に追いやった大きな要因だとの話が行内で密かにささやかれている』との知らせが入ってきた。
話によると、『浦喜氏は2010年1月4日、山口銀行平和通支店(広島市)の次長から八幡中央支店長に栄進したが、その9カ月後の10月1日、地区を統括する八幡支店長に山口銀行福山支店長から久野耕一郎氏が就任。堅実な営業を目指す新任の浦喜支店長と、規模拡大の経営を掲げる久野支店長とはかみ合わず、互いにしっくりいかなくなったといわれる。2人の関係がこじれる中、山口銀行は11年10月3日に、九州の支店を営業分割して新しく北九州銀行設立することを決めた。しかし、八幡支店長とそりが合わなかったことから、浦喜八幡中央支店長は新銀行が発足する直前の7月1日、阿知須支店(山口市)に転出させられたのだ。
それから約3年後の14年6月2日、浦喜氏は豊浦支店(下関市)の支店長となったが、同規模店への横滑り人事におやっと思う行員が多かったといわれる。一方、久野氏は北九州銀行の初代八幡支店長として箔をつけ、2013年6月3日付で、役員への登竜門である山口銀行防府支店長に栄進。翌年の6月26日、取締役本店営業部長に登用され、地区統括母店長となった久野氏。再びその傘下の豊浦支店長となった浦喜氏。2度目の運命的な出会いが、後に浦喜氏の人生を狂わすことになろうとは誰が予想しただろうか。
その原因となったのは、60周年の記念行事として下関ゴルフ倶楽部が、山口銀行とつながりの深い清水建設に総額10億円(坪単価180万円)の超豪華クラブハウス建て替えを発注したことだった。下関ゴルフ倶楽部のメインは山口銀行豊浦支店であり、そのクラブハウス建て替えこそが浦喜支店長を死に追い込むことになったのだ。
(つづく)
【北山 譲】▼関連リンク
・山口銀行豊浦支店長が自殺
・『山口銀行の「支店長」自殺の真相に迫る~死を招いた定款変更(前)
・『山口銀行の「支店長」自殺の真相に迫る~死を招いた定款変更(後)
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