乗っ取られた昭和自動車!?(3)~数十年を経て解かれた封印
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前回は、昭和自動車(株)(本社:佐賀県唐津市、金子晴信代表)の中興の祖であり、「昭和グループ」の創始者である故・金子道雄氏の半生について触れた。
この歴史を見る限り、金子道雄氏にとって元の雇主にあたる青木榮藏氏とは、自身の人生の方向性を示唆し導いてくれた大恩人であり、「青木洋鉄商店」での経験はその後の人生の原点であり出発点となるものだ。
また、実は昭和自動車の経営権が青木洋鉄商店に譲受された当初は、榮藏氏の子息である省二郎氏が昭和自動車の代表の座に就いており、道雄氏は専務取締役という立場。その後、省二郎氏が会長に退き、道雄氏への代表交代が行われてはいるが、もともと昭和自動車は、少なくとも名目上は青木家が経営していた会社ということになっている。
それなのに、なぜ今、昭和自動車が青木家から訴えられるという事態になっているのか――。今回、昭和自動車を訴えているA氏は青木家の親族で、青木榮藏氏の孫にあたる人物。事の発端は 2010年、親和銀行本店(長崎県佐世保市)よりA氏のもとに入った連絡だった。
その内容は、「昭和自動車の株券が親和銀行本店に封印した状態で保管されている」というもの。詳しく聞くと、かつて金子道雄氏が同行より借り入れを行った際に、担保として親和銀行に預けられていた青木家名義の昭和自動車の株券が保管されており、それをA氏に返却したいという話だった。
A氏は、当該株券を見せてもらえるよう同行にかけ合ったものの、「相続してもらわないと見せられません」という返答。そこで、約1年をかけて遺産相続手続きを行い、A氏はその株券を手に入れた。だが、そのA氏が手に入れた株券に対し、昭和自動車はそれを真正なものとは認めないという判断を下す。そのため、14年にA氏は昭和自動車を相手取り「株主権確認訴訟」を提起。そしてその裁判の過程で発掘された当時の資料等から、昭和20年代に昭和自動車が3度にわたって行った増資について、不可解と思われる事実が判明したのだ。そのため15年にもA氏は昭和自動車を相手取り、新たに「新株発行不存在確認訴訟」を提起。両訴訟は併合され、現在も審尋中となっている。
(つづく)
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