2024年12月22日( 日 )

ふくおかFGと十八銀行~暗雲漂う経営統合(前)

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pen 11月30日に『シリーズ・金融機関淘汰の時代がやって来た(11)~十八銀行専務死去で統合に暗雲さらに濃くなる』を掲載したが、その反響は大きかった。

 そもそも論になるが、「長崎県内にふくおかFG傘下の親和銀行と競合しているのに、なぜ十八銀行がふくおかFGと経営統合することになったのだろうか」と、読者の多くの方々は疑問に思われたのではないだろうか。そこでこれから推測を交え大胆に切り込んでいくことにしたい。

 この遠因は60年前にさかのぼる。十八銀行の第7代頭取に、大蔵省出身で北九州財務局長を歴任した清島省三氏が就任。清島氏の頭取在任期間は、1956年3月7日から1983年10月1日までの27年7カ月と四半世紀を超えるものだった。その後も大蔵省出身の頭取が続いたが、終止符を打ったのは第10代の藤原和人頭取(2000年6月から07年6月までの7年間)だった。

 その後を継いだのは、プロパーの宮脇雅俊代表取締役副頭取で、十八銀行の行員が熱望していた「生え抜き頭取」が、実に51年ぶりに誕生したのだ。

 14年6月24日、7年間頭取の座にあった宮脇雅俊氏は代表取締役会長となり、注目された後任の頭取にプロパーの森拓二郎専務を指名。

 森頭取は就任後の記者会見で、「長崎県は人口の減少など多くの課題を抱えている。観光立県を掲げる長崎県。しかし当行は旅館・ホテル業への融資残高は数十億円しかない状況にある。今後は地元銀行として観光業を含む地域産業を積極的に支援し、その存在意義を示していきたい」と抱負を語った。

 その言葉の裏には、「過去、十八銀行頭取は大蔵省出身者の指定席となり、財務内容ばかりを気にしてリスクを取らず、真に地元銀行としての役割を果たして来なかった。今後は金融面で地域経済をしっかり支えていく」との決意を秘めていたものと推測される。

 【別表1】を見ていただきたい。15年9月期の預貸率は長崎銀行88.8%。親和銀行65.3%に対して、十八銀行は57.7%と3行中一番低いことが分かる。預貸率は過去からの集積であり、歴代頭取の通知表でもあるのだ。森頭取の決意を裏付けるように、16年9月期の貸出金は前年比+572億円の1兆5,044億円となり預貸率を改善。また前年比+97億円の親和銀行の貸出金1兆4,659億円を抜き、積極的に融資に取り組んでいる姿勢が読み取れる。

 二代続けてプロパー頭取の誕生は行員にとっても朗報だったといえよう。数十年努力を重ね取締役となり、あと少しで頭取ポストに手が届く地位を得たと思っても、ある日突然、銀行の現場を経験したこともない官出身者がトップに座り、権威を背景に行内の権力を行使する態度を見続けてきたことが、プロパー頭取が続いた背景にあるのではないだろうか。

 そのため宮脇会長と森頭取が将来を見据えて選択したのは、一党独裁方式ではなく連邦方式で自治権が認められる、『他行との経営統合』による経営基盤の強化だったと思われる。その重責を担ったのが、11月28日に自殺した森甲成専務だったといわれている。

(つづく)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎 裕治】

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