追悼(株)サニックス創業者・宗政伸一氏、ラグビースピリットに裏打ちされた「突破力」(後)
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私費を投じて「グローバルアリーナ」をつくる
2000年、宗政伸一氏は私費(株式公開時に得た創業者利益)を投じて、ラグビー場などを備えた総合スポーツ施設「グローバルアリーナ」を宗像市につくった。2000年から続けている「サニックスラグビー ユーストーナメント」は、世界の高校生たちが目指すようになった。
14年、サニックスラグビー部が宗像市と連携・協力に関する協定を結んで「宗像サニックスブルース」が誕生したときには、地域のクラブチームに認定されたと喜んでいたという。19年のラグビーワールドカップ日本大会は、福岡市博多区東平尾公園の博多の森球技場での開催が決定した。福岡はラグビースクール数が都道府県で2位、日本一に輝いた東福岡高校など強豪高校チームがあるなど全国有数のラグビー王国だ。
半面、「観るスポーツ」としての人気は高いとは言えない。観るスポーツの花形は大学や社会人だが、社会人が強くない。社会人ラグビーの人気を高めるため、宗政氏は宗像サニックスがトップリーグの上位5位内に入ることを目指した。ワールドカップの福岡開催が決定し、世界の強豪チームの試合を観戦することを楽しみにしていたが、希望は叶わなかった。
軍隊的教育の原点
宗政氏の原点に触れておこう。彼が語ったところによると、若い頃の夢は世界を観ることだった。高校卒業後、南極観測船「ふじ」(「宗谷」の後継船)に乗船したのは、海外に出たい一心からだった。
下っ端の彼は、南極観測船の体験は強烈。上司の命令で、迅速に行動する海上自衛官に圧倒された。事業を起こしたとき、組織の原型に据えたのは南極観測船であった。サニックスは、軍隊式教育がつとに有名。それは、海上自衛隊の教育をモデルにしているからだ。福岡市に本拠地を構えたとき、真っ先につくったのが教育センター。「教育費倒れ」すると揶揄されたが、社員教育にはカネを惜しまなかった。
サニックス名物の宝満山(福岡県筑紫野市と太宰府市にまたがる標高829mの山)への早朝登山や24キロの歩行訓練。宗政氏は、社員の先頭に立って登山した。「自分の背中を見て社員はついてくる」と信じていたからだ。宗政氏を突き動かしたのは、ハングリー精神だ。日本人の最大の教育は貧乏である。貧乏から抜け出すために、ガムシャラに働く。そんな突破力を持った最後の起業家であった。
晩年は、九州電力が再生可能エネルギー買い取り手続きを中断したことが響き、奈落に突き落とされた。それでも、突破力で疾駆した人生だった。
(了)
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