2024年11月23日( 土 )

米国にベンチャー企業の花を開かせたSBIR制度!(1)

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京都大学大学院思修館教授 山口 栄一 氏

 2016年に大隅良典博士が「ノーベル生理学・医学賞」を受賞、日本人のノーベル賞受賞は3年連続になった。2000年以降、自然科学部門ではイギリス、フランス、ドイツなどを抜き、米国に次いで世界第2位にある。しかし、このことは「日本の科学技術の未来は明るい」ということに必ずしもつながらない。近年の授賞はごく少数の例外を除いて20年以上前の成果に基づくものである。かつて「科学立国」として世界を牽引した日本の科学技術とハイテク産業の凋落は著しく、周回遅れで世界から取り残されている。
 話題の近刊『イノベーションはなぜ途絶えたか』(ちくま新書)の著者、京都大学大学院思修館の山口栄一教授に聞いた。山口氏は米国にベンチャー企業の花を開かせた「SBIR(Small Business Innovation Research)」制度の実体を「大学などにいる無名の科学者を起業家に転じさせるために国が設けた『スター誕生』システムである」と喝破する。

日本の科学・技術の再興・発展を演出できる

 ――お忙しいなかお時間を賜りありがとうございます。本日は「イノベーション」そして「日本の科学・技術の未来」に関して色々と教えて頂きたいと思います。先ず、今回新書を書いた動機から教えて頂けますか。先生は約10年前の2006年に『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版)で日本の科学・技術の未来に関して警鐘を鳴らしています。

 山口栄一氏(以下、山口) 2006年に前著を書いたのは日本の科学・技術の「滅びの始まり」に危機感を覚えたからです。今回、新書を書いた理由は2つあります。1つは、前著の予言が当たり、日本の科学技術とハイテク産業の凋落が誰の目にも明らかになってきたからです。つまり「滅びの終わり」に近づいてきたことを感じています。2つ目は、90年代に科学技術・イノベーションが牽引し、大幅な経済再生を遂げた「米国の奇跡」の実体が、この10年間の調査の結果明らかになったからです。日本も同じ様に、今すぐにでも実行すれば、日本の科学技術の再興そして発展の「始まり」を演出することは可能だと考えました。

優秀な学生の多くは中央研究所をめざした

京都大学大学院思修館教授 山口 栄一 氏

京都大学大学院思修館教授 山口 栄一 氏

 私はNTT基礎研究所主幹研究員時代の1993年から98年までの5年間、フランスIMRA Europe招聘研究員として南フランスに住んでいました。そして、98年に帰国した時、日本の科学技術の「滅びの始まり」に遭遇しました。日本の大企業の中央研究所がほとんどつぶされようとしていたのです。

 基本的に日本は「イノベーション」がなければ生きていけない国です。だからこそ、日本は「科学立国」をめざしたのです。しかし、当時の日本の大学の制度設計は必ずしもこの期待に応えるものになっていませんでした。予算も少なく、博士号を取得してもオーバードクターになり、キャリア設計が上手く描けませんでした。そのため、優秀な学生の多くは博士号をとった後は大企業の中央研究所に入りました。当時の日本の中央研究所は純粋科学の基礎研究を行なっていました。だからこそ、時を経て今、赤崎勇博士、天野浩博士、中村修二博士の「青色ダイオード」など、ノーベル賞に輝くほどの数々の素晴らしいイノベーションが生まれたのです。

 ノーベル賞を受賞するのは特定の1人、2人に過ぎません。しかし、そこに行き着くためには、何百人、何千人の科学者の研究が土台になっています。イノベーションというのは、突然に“ふっ”と湧き出てくるものではありません。そして、その土台になる科学・技術のほとんど全てが大企業の中央研究所から生まれていました。日本の中央研究所は世界でもまれにみる技術革新のエンジンになっていたのです。これが、80年代から90年代中葉までの日本の科学技術・イノベーションの姿です。

本家米国よりはるかに上手く機能していた

 中央研究所の仕組みはもともと米国発祥のものです。米国の大企業は20世紀初頭以来、次から次へ中央研究所を創り、そこでイノベーションを起こす仕組みを作りました。企業の中央研究所と大学の連携も上手く機能させていました。戦後それを真似して、ほとんど全ての業種の日本の大企業で、エレクトロニクス業界のNEC、日立、東芝、ソニー、富士通などが先陣を切り、中央研究所を創りました。

 米国の真似をした日本ですが、米国よりはるかに上手く機能しました。それには理由があります。米国企業では、研究者(博士)、エンジニア(修士、学部卒)、テクニシャンとはっきりした階級制度があります。さらに、中央研究所と工場は、多くの場合、離れた場所にあり研究者とエンジニアが日常的にコミュニケーションを取ることはできませんでした。

 ところが、日本式に創られた中央研究所はほとんどの企業で工場に隣接していました。研究者はエンジニア・テクニシャンと日常的にコミュニケーションが可能だったのです。イノベーションには、研究者とエンジニア・テクニシャンとの「共鳴場」(科学と技術がリンクする場)が不可欠です。その結果、50年代から70年代の高度成長のエンジンになり、80年代の初頭には見事に花が開き、90年代中盤までの約15年間に日本の中央研究所ではイノベーションできる仕組みが完成していたのです。

経営者が科学者の本質を理解できていない

 私が帰国した時目にしたのは、その中央研究所をつぶしてしまえという突如起こったムーブメントでした。これには、バブル崩壊の影響もありますが、それ以上に経営者が科学者・研究者の本質をよく理解できていなかったのだと思います。当時私が一番びっくりしたのは、物質の基礎研究にものすごく厚みがある陣容を抱えていたソニーがその研究を大幅に縮小してしまったことです。信じられないぐらいの衝撃でした。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
yamaguti_pr山口 栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院思修館教授。物理学者(イノベーション理論・物性物理学)
 1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院理学系研究科物理学専
修士修了、理学博士(東京大学)NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘
研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英国ケンブリッジ大学クレ
アホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。
著書に『イノベーションはなぜ途絶えたか‐科学立国日本の危機』(ちくま新書)、『イノベーション政策の科学―SBIRの評価と未来産業の創造』(共著、東京大学出版会)、『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(筑摩選書)、『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版)、など多数。

 

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