スカラが仕掛けた、ソフトブレーンへの敵対的買収の行方(後)
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小が大を呑むM&A
(株)スカラは1991年12月、三井情報開発(株)出身の島津英樹氏(66)と田村健三氏がデーターベース・コミュニケーションズ(株)(現・スカラ)を設立したことに始まる。メインフレーム用の基幹データベース管理サービスを行っていたが、市場が縮小したため、M&A(合併・買収)で業態転換を進めてきた。ウェブサイトにおけるサイト内検索や、電話窓口の自動音声応答システムを展開する。
同社は事業拡大を目指し、ソフトブレーン株を買い占める挙に出た。買収資金43億円は、第三者割当と公募増資による自己資本の増強、販促支援ソフトを展開する(株)エイジア株の売却代金、銀行11行からの20億円の借入金で賄った。
同社の2016年6月期の売上高に当たる売上収益は26億9,300万円。ソフトブレーンの子会社化で、17年6月期の売上収益は前期比3.8倍の103億円、純利益は同4.2倍の35億円になる見通しと発表した。小が大を呑む。スカラにとっては、社運を賭けたM&Aだ。
創業者の宗文洲氏はソフトブレーン株を売却
一方、ソフトブレーンは1992年、宗文洲(そう・ぶんしゅう)氏(53)が札幌市内で設立した。宗氏は63年、中国山東省生まれの中国国籍。85年に中国国費留学生として来日。北海道大学大学院工学研究科博士課程修了、博士号を取得した。中国で起きた学生を弾圧する天安門事件を嫌い、そのまま北海道に住み続けた。
札幌市内のソフトウェア会社に就職したものの、3カ月で倒産。大学時代に開発した土木解析ソフトをゼネコンや建設コンサルタントに販売した。このとき得た資金を元手にソフトブレーンを設立。建設現場で利用されていた工程管理の手法を、営業などホワイトカラーの生産性改善を目的としたソフトを開発。この営業支援ソフトが大ヒットし、2000年に東証マザーズ、05年に東証一部上場を果たした。
「創業者はいつまでも経営すべきではない」という考え方から06年に取締役を退いた。その後、経営評論家としてテレビや経済誌に登場。辛口の日本的経営の批判者として活躍している。
ソフトブレーンが敵対的買収の標的になったのは、皮肉にも、創業者の宗氏が忌み嫌った日本的経営にあった。東証は15年、株主主権のコーポレート・ガバナンス・コード(行動指針)を導入、株主への利益還元を謳った。
ソフトブレーンの16年12月期の売上高は前年同期比27%増の74億8,000万円、純利益は33%増の4億9,500万円の見込み。しかし、無配を継続。スカイは10円の配当を求めて株主提案。利益の株主還元より内部留保という日本的経営に異議を申し立てたわけだ。創業者の宗文洲氏は、ソフトブレーン株13.04%を保有する筆頭株主だった。スカイが筆頭株主に躍り出てからは、ソフトブレーン株の売却を急いだ。大量保有報告書によれば、16年8月から5回に分けて売却。17年1月10日、保有比率は5.22%に低下した。
ソフトブレーンの経営陣にとって、アテにしていた創業者の宗氏が、さっさと株を売って手を引いたのだ。株主総会で戦う前に、勝負はついたといえそうだ。
(了)
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