過労死の時代に~変わりゆく労働の価値(5)
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ゆとり教育と受験地獄
1980年前ごろから提唱されていたいわゆる「ゆとり教育」が1992年ごろから実施され、学校週休二日が運用されたと記憶している。その結果がどうなったかは複数の意見があるところだが、思ったような効果が出なかったというのは衆目の一致するところである。
人間とは妙なもので、順調な環境では人生に最も必要な「耐性」が育ちにくい。艱難汝を玉にすという教訓の通り、人間に必要なのはそれこそ多種多様な環境経験であるはずだ。無難なことをあえてカットすれば、本来人間が潜在能力として備えている環境対応力は芽吹かない。
つい先日、東京で若者を集めた「SECCON2016」というハッカー競技会があった。世界9カ国、24チームが参加したこの大会で優勝したのは韓国チームだった。2位も韓国で3位は中国チーム。日本勢は5位が最高だったという。学生チームに至っては全体の13位が最高だったという。ハッカー=悪が定着している我が国のチームだから、当然といえば当然だが、人並み以上の努力を過重労働と規定し、法的な規制を加えるなら、日本という国の行く末は危うい。
今盛んに言われるダイバーシティーは「多様性」である。日々の人間の行為にもこの形は欠かせない。
過労死の問題は、勤務状況の問題ではない。人間力の問題も大きい。軍隊ですら、命の危険が迫り、どうしても戦闘継続が不可能ということになれば撤退や降伏を選択する。考えるべきはその判断力である。したくなければしないという選択をチョイスするのは基本的な人間力である。そこに目を向けず、単に時間の長短や叱責の内容を問題にすればその能力は際限なく衰耗していく。それがエスカレートすれば、最終的には耐性のない人間たちが一カ所に集められ、「AIから飼育される」という現象が発生しないとも限らない。笑えない人権尊重、人間重視である。
その昔、豊かでなかった中国、北京大学では消灯後、唯一照明がある寄宿舎の階段に学生が鈴なりになって勉強をしていた。韓国の受験戦争は誰もが知る通りである。
サムスンの海外派遣社員は、いきなり現地に放り込まれ、営業活動を命令されるという。至れり尽くせりで教育されるどこかの国の新入社員とは大違いである。
20年近く前の話ではあるが、至れり尽くせりの育成をしても心身に変調をきたして帰国する社員が少なくないという話を知人のM物産の役員から聞いたことがある。若者の変調はすでにそのころから始まっていたのかもしれない。
今国会で議論されているのが過労死を避けるための罰則付きの時間外労働禁止令。このばかばかしい野党の要求を与党も受け入れるという。これでは頑張りと可能性の畑に塩をまくようなものである。そんな我が国の実情は末恐ろしい。
半世紀以上前のことになるがテレビを評して「一億総白痴化」という流行語があった。評論家大宅壮一の言葉を基にした流行語であるが、なぜか最近その言葉を強く意識する機会が多くなった気がしてならない。
(了)
<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。関連キーワード
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