『秘史』では語られなかった住銀・イトマン事件の全容(前)
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有森隆著『住友銀行 暗黒史』
住友銀行(現在の三井住友銀行)が6,000億円もの損失を被った“イトマン事件”は、バブル経済のピーク時に起き、バブル崩壊の序章となった。戦後最大の企業犯罪には、闇の勢力が暗躍し、怪文書が乱れ飛んだ。四半世紀以上を経過した今、住銀・イトマン事件を検証する書が相次いで出版された。
昨年、この出来事に直接関与した住友銀行元取締役の國重惇史氏が、『住友銀行秘史』(講談社)(以下、秘史と略す)を著わし、内部告発状(怪文書)を出した本人であると告白した。当事者の語る中身は迫力に満ちている。しかし、「真相を知るためには、抜け落ちている部分がある」という指摘が、事件を取材したことがある人たちからは聞かれた。
有森隆氏の新著『住友銀行暗黒史』(さくら舎)(以下、暗黒史と略す)は、そうした不満に応えている。有森氏は、別名義で事件の最中の1991年に『住友銀行イトマン権力者の背任――地下人脈に喰いちぎられたのはなぜか』(文藝春秋・ネスコ)を書き、この事件をライフワークとしてきた。新しい事実を大幅に加筆して、まったく新たな1冊として出した。
東西ヤクザの代理戦争だった
住銀・イトマン事件は、東西暴力団の「代理戦争」だったという見方があったが、『秘史』ではまったく触れていない。『暗黒史』は序章「東西ヤクザの代理戦争」で、のっけから事件の深い闇をえぐった。闇の帝王といわれた許永中・元受刑者が、イトマン事件に関連して、大阪地検に提出した「上申書」から書き始めている。
〈いわゆるイトマン事件は、佐藤茂が、河村、磯田の強力助っ人としての伊藤をイトマンから排除するべく、当時、伊藤の後ろ盾になっていた山口組若頭の宅見勝を懐柔して、イトマンから伊藤を排除し、その事実上のつながりから、イトマンと絵画取引等などを行っていた許永中もともに排除し、住友銀行が危惧していた暴力団山口組による住友銀行への侵食を食い止め、その窓口となった河村、磯田を追放したものであったといえる〉
佐藤茂は川崎定德社長、河村はイトマン社長の河村良彦、磯田は住友銀行(現・三井住友銀行)会長の磯田一郎、伊藤は協和綜合開発研究所所長の伊藤寿永光を指す。
イトマン事件は、住友銀行事件だった。大阪地検特捜部の手が、住銀本体に達することは、避けられそうもなかった。イトマンから許ら地下人脈に流れたカネは、もとをただせば住銀から出たものである。
しかし、住銀本体に司直の手が入ることはなかった。捜査が住銀本体におよぶのを阻止することと、広域暴力団・山口組の住銀への侵食を食い止めるという両面で尽力したのが佐藤茂だった、と許は「上申書」で断言した。ウラ社会の当事者から見た住銀・イトマン事件の真相だ。許永中は住銀・イトマン事件を佐藤茂と伊藤寿永光の2人の事件師の攻防と捉えていたのである。(つづく)
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