2024年11月24日( 日 )

ボランティアの本音~なんで他人の私があなたの家族を看るの?(前)

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大さんのシニアリポート第52回

 ボランティア活動の本音を話してみたい。私が運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)の常連、中井要蔵(93歳)・吉乃(86歳)夫妻の続編である。身内がいるにもかかわらず、介護支援の多くを福祉関係者(民生委員含む)とボランティアに委ねられている現実。「公的制度が確立しているのだから、利用するのは当然」という家族の姿勢。そこに「見捨てられた高齢者」の姿があった。
 実情を正確に把握していただくため、2回にわたり詳報したい。

 「どこにも異常はない」「認知症ではない」と信じている2人は、介護認定を受けていない。家族も勧めた形跡がない。それがないと、介護保険によるさまざまなサービスを受けることができない。施設への入所もスムーズにはいかない。最優先課題として、介護認定を受けるために病院での検査が必要だった。「どこも悪くないのだから病院に行く必要がない」と断言する要蔵さんに病院行きを決断させるには、どうしても私の「詐欺師的能力」を必要とした。社協の相談員などの公的な組織の人間は、動ける範囲が規定されている。「ぐるり」の代表・亭主という肩書きではなく、垣根のない、「中井夫妻の知り合い」という立ち位置が必要とされたのだ。

 ようやくのことでご夫妻を病院に連れ出すことに成功し、脳のMRIを撮った。後日、担当医の診断(これも連れ出すのに一苦労)があり、ご夫妻ともかなり進行した「アルツハイマー型認知症」と診断された。
 主治医の「ここまで進行しているのに、よく生活が維持できましたね」という言葉が印象的だった。要蔵さんは「お茶も入れられない」ほどの家事(生活全般)音痴。食事から洗濯・掃除まですべて吉乃さんが担う。つまり亭主関白で、吉乃さんは“妻”として“夫”にかしずくことに疑問を持たずに、60年以上生活を共にしてきた。吉乃さんの日常生活が完璧なまでにルーティーン化されているため、かなり進んだ認知症の人でも日常生活をこなすことが可能になるのだと思う。診断の最後に、「アリセプト(認知症薬)を出しておきましょう」と話す主治医の言葉に、私は一抹の不安を覚えた。

 その不安は現実となった。1月30日午前10時、社協の相談員とケアマネージャー(以下ケアマネ)をともなって「要介護の認定」の問診のため、ご夫妻の部屋を訪ねた。ブザーを押すが、中から返事がない。ブザーを見ると、通電確認のボタンが点灯していない。「ブレーカーが落ちている」と判断。玄関扉を激しく叩き、新聞受けの穴から大声で叫ぶが、反応がない。5分、10分…。強い北風が3人を襲う。どうするか?

 今後のことを検討するため、「ぐるり」に戻る。多忙なケアマネには、ひとまずお引き取りを願った。不安がよぎる。URの管理事務所に行き、合い鍵の有無を確認するが、「鍵は預からない決まり。入室方法は、本部に連絡し、本部から最寄りの警察署に連絡。警察官立ち会いのもと、鍵を壊して入るしかない。当然鍵代は弁償していただく」という。

 私は覚悟を決めた。110番する前に、再度夫妻の扉を以前にも増して激しく叩き、絶叫した。中から反応があった。かすかだが、声がする。「中井さん!」。その声が少しずつ大きくなり、やがて施錠を外す音がして扉が開いた。
 そこには、下着姿の要蔵さんが悄然とたたずんでいた。どこか様子が変だ。股引が濡れている。トイレに通じる廊下も濡れたままだ。吉乃さんは寝室で寝ている。社協の女性相談員が、容態を把握するため部屋に入る。その間、私が要蔵さんから話を聞く。数日前から下痢に悩まされ、食欲もない。体力が落ちて歩くのもおぼつかない。昨夜、つまずいて頭を壁にぶつけて転んだという。額が赤く腫れている。「アリセプトのせいだ」と直感する。アリセプトの副作用は、下痢とそれにともなう食欲不振だ。高齢者の場合、消化器官の機能低下による脱水症状と食欲不振のため、著しく体調を壊す場合があるという。

 とりあえず要蔵さんをトイレに誘導し、用を足してから着替えを探す。それが見つからない。「おい、俺の下着はどこにある」と、強い調子で寝たままの妻に言う。亭主関白の要蔵さんの本当の姿を垣間見た気がした。指定された和箪笥から下着を取り出し着替えさせる。
 吉乃さんの容態は、腰から腹全体に痛みがあるという。どうするか…。相談員が市の関係部署に判断を仰ぐ。「救急車で搬送」という結論。嫌がる吉乃さんを説得して119番する。救急隊員到着し、容態を問診。問題は、要蔵さんの処遇である。このまま要蔵さんを1人にするわけにはいかない。救急隊員に相談し、要蔵さんも同道することに決めた。私の話には従う要蔵さんのため、私も乗車する。相談員は車で救急車の後を追う。救急車に乗ったのは初めてだ。

 受け入れを了承してくれた救急病院に到着。すぐにストレッチャーで診察室へ。その間、相談員は受付へ。私は待合所で要蔵さんの話し相手となる。ほどなく、車イスに乗せられた吉乃さんが現れる。検査の結果は「まったく異常なし」。つまり、腰痛などの痛みの原因がわからないということ。しばらくベッドで安静にする。ついでに要蔵さんの頭をMRIで調べるものの、過去に発症したいくつかの小さな脳梗塞痕以外には見つからない。
 不思議なことにベッドから起きた吉乃さんは、何事もなかったかのようにスタスタと床を歩き出したのだ。「痛くないの?」と聞くと、「何が?」という顔をする。痛みは消え去ったらしい。

 その後、2人を相談員の車に乗せ、帰宅。面白いことがあった。URの正面玄関から入ろうとするのだが、入ることに躊躇するのだ。ようやくのことでエレベーターに乗せ、部屋のある4階に着き、扉が開いて第一歩を踏み出した途端、「ああ、ここだ、ここだ」と叫んだのである。普段、エレベーターを降りた夫妻は、駐輪場を抜けて裏から出入りしていたのだ。認知症と診断された2人には、正面玄関から入るのは、入居時以来なのだろう。

 部屋に入る。吉乃さんは3人にお茶を入れるために、キッチンでお湯を沸かす。彼女の後ろ姿に、病人という面影はない。「テレビが映らない」と要蔵さんが言う。そういえば、ブレーカーが落ちたままだった。玄関先にあるブレーカーを元に戻す。部屋の電灯がつくものの、テレビは映らない。URは有線放送だと聞いている。テレビの裏側を見る。有線用のコードがない。付近を探すが見当たらない。隣室を探す。あった。吉乃さんがかつて使用していた愛用の工業用ミシンの上に載せられていた。結線しスイッチを入れる。テレビが映った。トランプ大統領が何かを叫んでいる。要蔵さんがそれに見入る。「寒い!」と言うので、電気ストーブのスイッチを入れる。電気ストーブの発熱し始めた橙色を見るだけで、心が温かくなる。
 次の瞬間、部屋の明かりが消えた。再びブレーカーが落ちたのだ。電気ストーブにテレビ、冷蔵庫に電子レンジ。どこにでもある電化製品だ。普通、全部同時に使用してもブレーカーが落ちるようなことはない。不安になり、ブレーカーのアンペア数を見て驚いた。そこに15アンペアと記されていた。このURは築36年。当時はこのアンペア数で十分だったのだろう。しかし、現在の電化製品を利用するには少なすぎる。多分、アンペア数を上げるという考えには至らなかったのだろう。再び不安がよぎる。

 ブレーカーがある場所は玄関の天井近くのため、夫妻の手が届かない。椅子を利用することも可能だが、足腰の弱っている夫妻にはとても無理の話。この厳冬期、暖を取れない寒さのなかで、震えながら暮らしていたのだろうか。相談員が2人分の夕食を作った後、中井家を辞した。「これからどう見守ればいいのか」――相談員にも私の頭にも不安がよぎる。

 そして再び事件が起きた。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
(51・後)
(52・後)

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