名門はなぜ破綻に至ったのか(3)~鹿児島の通信工事、三州電通工業
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栄枯盛衰は世の常。経営者の資質が問われる破産事件が起きた。2016年7月、三州電通工業(株)(本社:鹿児島市谷山港、前田直人代表)が40年の歴史に幕を下ろした。こう表現すれば、聞こえはいいが、取引先を中心に関係者は一様に首をかしげている。「なぜ倒産しなければならなかったのか」「耐えられたはず」「裏切られた」。取引業者からは疑問や不満が漏れ聞こえてきた。同年8月に破産開始決定が降りたのだが、一連の破産事件はまだまだ終わりそうにない。
意地でも続けろ 訴えた旧知の取引先
「そもそも倒産させる必要があったのか」。そう語るのは、古くから取引を続けていた三州の下請け業者。「建設業はどうしても波がある。苦しいときはお互い様。どうしても払えないときは全額でなくても、一部支払い、待ってもらうこともできる。数か月後には、大きな仕事を振ってやるから、耐えろと言い続けてきたのに」。最終的な破産申し立ての決定については、直人氏から報告はなかったという。
確かに、売上規模に対し、負債総額が小さいことは気になっていた。負債額は約4億8,000万円。売上高は9億円に迫るだけの数字を維持していたのである。いくら大赤字になったとしても、手の施しようがなかったわけでもない。前述の取引先が悔やむのも無理はない。直人氏は立て直すチャンスがありながらも、自ら廃業を選んだ可能性がある。
現実逃避か 楽な道を選んだ?
「そうさせたのは、会社への愛着、仕事への情熱、社員への愛情が欠けていたことによる」とは、また別の関係者だ。自分が立ち上げたものではなく、引き継いだもの。自らの意志で引き継いだのかといえば、その可能性は低そうだ。鹿児島に呼び戻されたというのが、現実のようだ。
さらに、仕事では情熱を燃やしていたようではなかったらしい。元従業員は語る。「社員とのコミュニケーションはごくわずかだった。自分の仕事が終われば、すぐに帰っていたし、取引先からは「支店長が社長をやればいいのに」という話も出ていた」。経営者としての資質が十分に備わっていたようでもない。ただ、どの経営者にも不十分なところはある。それを補うのが、役員であり、ブレーンでもある。
孤独だった取締役会
三州の役員は、直人氏のほかに、直人氏の妻と叔父の3名。前代表の廣隆氏はすでに経営から退いていた。妻は名ばかりで、叔父は現場のみ。経営のかじ取りは、直人氏が船頭役を一人で担っていた。飲食業開始も、破産申立も独断だったことが予想される。
(つづく)
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