2024年11月24日( 日 )

人事が語る「就職活動に異変?」(1)~オヤカクについて

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 各社の採用情報の公開は3月に解禁され、本格的な就職活動(以下 就活)がスタートしている。
朝から男女の学生たちが、同じようなスーツ・靴を身に着け、持ち慣れないカバンを抱えてオフィス街を歩いている姿を目にする機会が増えた。毎年の風物詩である。曜日を問わず各所のイベントスペース・会場やホテルのバンケットスペースなどで“企業説明会”と称した学生側と企業側との、事実上の第一次面談が実施されている模様だ。毎年ながら「お互いに大変だなあ」という感想である。

 それぞれの思惑のなかで、就活が行われているのだが、近年“オヤカク”という言葉を頻繁に聞くようになってきている。この“オヤカク”とは何か?

 “オヤカク”とは、企業側が内定を出した学生に対して、「当社への入社を親は了承しているのか」を確認する。あるいは内定した学生の親に連絡をして説明、確認することの企業側の行動を示す。なぜ“オヤカク”が必要となってきたのか。「学生本人の意志ではなく、親の反対によって内定辞退が起こる例が増えてきたからだ」(上場企業人事担当幹部)という。この言葉と実態を聞いたとき、強烈な違和感があった。なぜなら、子どもの意志ではなく、親の一存で子どもの将来を決めてしまうという行為だからである。あえて今一度確認するが、親本人が就職するのではなく、自分の子どもが就職するのだ。

 企業側の立場からすると、「有能な人材を確保したい」という事情があるので、学生本人との入社の確認が取れても、親の反対で内定が反故されることは回避したいだろう。“オヤカク”という今までなかった工程が加わることで、採用活動において企業側の手間が増えるのである。“オヤカク”に関連して、「親を対象にした企業説明会や親の企業訪問への対応、なかには家庭訪問まで行う企業も散見される(前出人事担当幹部)」というように、親を“もてなす”活動が実施されている。本当にお気の毒と言いたい。

 一方で、親側からの言い分は、「これまで手塩にかけて育ててきた子どもに、社会に出ても幸せな人生を送って欲しい」という“親心”から、自分の経験や知識そして“思い込み”によって、子どもの就職に対して干渉するのだ。ここまで育てるのに多額の金銭を費やしてきたことで、世間で“良い企業”と称されている企業に就職して欲しいという願いから、子どもの“人生の岐路”にも干渉するのであろう。それは、子どもではなく親自身が“見返り”を欲しがっている、すなわちご近所や親戚、友人たちに「私の子どもは、○○会社に入社したのです」と周辺に自慢し、何らかの優位性に立ちたいというメンタリティが働いているのではないか。「子どものために親も必死なのです」と反論を受けるかもしれないが、親自身の自己満足に、子どもの就活を利用していることは否定できない。

 閑話休題。十数年前にある大学ラグビー部の監督と学生の将来についてヒアリングしたことがあった。その監督は、「私は自分の女房あるいは旦那と、自分の進みたい道は、“自分で決めろ”と言っております。進路の相談は受けても、決めるのは学生であることは変わりません」と回答された。現在、その大学の近年の戦績は、大学選手権のベスト4には常に出てきている。また、その大学の卒業生は、プロラグビー界をはじめ、ラグビー以外の分野の各方面で大活躍している。

 現状“オヤカク”については、企業側からやめることは困難である。「“オヤカク”を肯定も否定もするつもりはない。しかし“オヤカク”は、“いるかいらない”で分けると、いらない。就活は、自分自身の将来を決める第一歩。自分がその会社で働くかどうか、自分で決断することだ。親の承諾・確認がいるようなら、実社会に出てビジネス上での決断をすることができるか疑問符がつく。子どもの持ち味を削ぐこととなると思う」(前出人事担当幹部)と、企業側は“オヤカク”について警鐘を鳴らす。

 就職や人生の価値観は人それぞれで正解は存在しないが、少なくとも子どもは親の道具やおもちゃではない。自分の子どもを一人の人間として尊重することこそ、本来の親の姿であろうと思う。批判を覚悟で、“オヤカク”は我が国の就活で不要だと声を大にして言おう。

(つづく)
【河原 清明】

 
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