ボランティアの本音~なんで他人の私があなたの家族を看るの?(後)
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大さんのシニアリポート第52回
前回に引き続き、「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)の常連、中井要蔵(93歳)、吉乃(86歳)さん夫妻の話である。進行した認知症、要介護度認定のための検査と診断。ケアマネージャー(以下ケアマネ)による問診の失敗。容態の急変による救急搬送。夫妻とも「悪いところなし」の診断結果。帰宅後にはブレーカーの落下と恒常的な停電。厳冬期の生活を余儀なくされる現実。そして、これから先の不安……。加えて、認知症による金銭管理の困難。中井さん夫妻のこうした非常事態にもかかわらず、家族(とくに長男)の無責任な対応。両親が家族によって捨てられていく様子を今回も詳報したい。
救急搬送された病院から帰宅した翌々日(2月1日)、再度吉乃さんの容態が急変し、救急搬送された。2日前と同じ、「腰と腹の周りの痛み」である。今回は設備の整った病院に搬送され、最新医療器機を使い全身をくまなく診察したものの、今回もまた「異常なし」の診断結果となった。病人でない人を入院させることはできず、前回搬送された病院を口説いて入院。本人には「医療設備の完備したホテル」と説明し、納得してもらった。不思議なことに以前のときと同様、痛みなどはじめからなかったかのように生活したという。
問題は、「家事能力ゼロ」の要蔵さんである。彼をひとり自宅に残すことはできない。かといって介護認定の下りていない人を施設に預けることも簡単にいかない。家族(長男)の関わりが必要とされるものの、相変わらず逃げ回るありさま。今回は緊急を要することなので、ショートステイのA施設に要請し、例外的に短期間の入所を承諾していただいた。もはや限界。身内がいるにも拘わらず、公的な職員とわたし(「近所にいる知り合い」的な立ち位置)とで中井夫妻を支えるというのは、いかにも整合性に欠ける。
翌2日(木)午前10時、社会福祉協議会。指定された部屋に、地区の包括支援センター(以下「包括」)、市の福祉担当職員、中井夫妻担当の民生委員、ショートステイAの施設長、ケアマネ、社協相談員、わたし、そして中井夫妻の長男が顔をそろえた。わたしは長男を見るのが初めてである。もっとも、そこにいる全員が初対面なのだ。着席した長男からお礼の言葉どころか、世話になっている両親のために、今日、こうして時間を割いて集まっていただいた関係諸氏に対して、ひとことの挨拶もない。黙したまま悠然と腕組みする長男。わたしはいたたまれない違和感を覚えた。
自己紹介のあと、社協の相談員が口火を切り、両親の現状と今後の介護について淡々と話を進める。話は佳境に入る。「両親の今後を長男としてどうしたいのか」を長男に問う。「姉も自分にも家庭があり、引き取って看ることは不可能」「URの自宅での生活にも不安が残る」「施設への入所が最優先」であることをこれもまた淡々と話した。進行役の相談員が彼の話を引き継いで次のステップにいこうとしたとき、いきなり「自分にも姉にも余分な金がない」「年金と生活保護費のみで入所できる施設はあるか」を聞き出す。「あります。施設の場所(遠近)を問いませんか?」とケアマネ。すかさず「距離は関係ありません」の声。入所後の両親に面会する気はないと判断した。両親を捨てるつもりなのであろう。
高揚してきた長男は、「自分が子どものときからいかに両親にスポイルされてきたか」を滔々と語りだした。綿々と両親の悪口を話しだしたのには困惑した。なぜ現在も両親との距離をとっているのかを説明しているのである。彼の顔を見ているうちに、嫌になってきた。正直呆れた。いつ果てるとも知らない長男の愚痴をケアマネがやんわりと制し、具体的に今後の方針を提案した。事態はすでに動き出しているにもかかわらず、肝心の介護認定がなされていない時点で、「要介護度」を推測しながら、さまざまなサービスをプランニングしていかなければならない矛盾。取り組む関係部署の苦労は計り知れない。問題を整理する。
「金銭の管理」「中井夫妻の今後」の2点。「金銭管理」については、成年後見人制度を使うという方法もあるが、身内(長男)がいる以上、長男が間接的にでも関わるべきだと関係者はいう。長男もいくつかの方法を提案する。「一度長男の口座に入金し、必要な分だけ両親に送る」「担当の民生委員にその都度必要な分だけ送金し、両親に手渡す」など。前者は、金の管理ができない夫妻には無理。後者は、民生委員としての仕事外(金の管理は禁止)のこと。介護判定が下りない限り、方針を示すことができない。継続案件とする。終了後、長男は、要蔵さんが入所中のショートステイA施設との契約書に記入後、吉乃さんが入院している病院に行き、入院の書類に必要事項を記入。その後、病室で母親に面会。「書類記入と面会に要した時間はたったの5分。新記録ですよ」とあきれ顔の看護士だったという。これからの予定は、ケアマネが要介護の認定のための問診→認定調査(主治医による意見書)→介護認定審査会による「審査・判定」→認定結果通知→ケアプランの作成→サービスの利用開始となる。実は、今年の4月から、「介護予防・日常生活支援総合事業」(通称「総合事業」)がスタートする。これまでの「要支援1・2」と「要介護1・2」を各地方自治体の裁量に一任するという福祉政策の大転換だ。とくに要支援者が受けていた「ホームヘルプ・デイサービス」などが市町村の裁量(サービスの種類や単価)で決められることになる。「社会保障費負担減」を目論む厚労省の政策だ。平成30年度に完全実施される予定の「地域包括ケアシステム」(重度な要介護者が住み慣れた自宅や地域で暮らすことができる)の布石だと考えたい。聞こえはいいが、福祉政策の地方自治体への丸投げである。地方自治体の負担増とサービスの低下が危惧されている最悪の施策である。介護認定を受けていない人は、さまざまなサービスをより受けにくい状態が考えられる。4月までは1ヶ月を切っている。要介護認定の「駆け込み申請」が急増で、ケアマネへの申請も急増。中井夫妻の場合、ギリギリ間に合ったといえる。
ここで「ボランティアとは何か?」を考えてみたい。「ボランティアはラテン語のボランタス(自由意志)を語源としており、自発性に裏づけられた奉仕者、篤志家を意味するものであった。(中略)自発性、または自主性、善意性、無償性、先駆性ならびに自己犠牲を伴うことがその行為の基本的特性とされてきた」(『ニッポニカ』渡邊益男)とある。正直、今回の案件に対してはわたしにはボランティアの基本的特性を理解して対応していない。長男に対し、「なんで他人であるわたしがあなたの家族を看なければならないの?」という素朴な疑問を抱きつつ対応してきた。社協の相談員は、「それがボランティアというものなの」というが、未だに納得できていない自分がいる。今回、中井夫妻を通して、さまざまな状況を体験できた。数多くの関係部署と連携しながら、中井夫妻を支えてきた。最大の収穫は、わたしが「近所の知り合い」的な立ち位置で中井夫妻に接してきたことだ。規則に縛られることなく、自由に動き回れるということがどれほど大切なことか。公的な立場の人には一定の縛り(壁)がある。そこをつなぐことが可能となる。一方で、福祉関係部署に通報してもその後の情報を通報者に伝えてもらうことができない。個人情報の壁がそれを不可能にする。ボランティアは、公的な機関の下請け的な扱いに空しさを感じる。わたしは作家としての視点、「看る看られる側の自由な発想」を捨てることをするつもりはない。
この原稿を書き上げた前々日に、中井夫妻の施設への入居が決まり、夫妻は久しぶりに対面した。その第一声、「お前、何していたんだ」(要蔵さん)、「お父さん、どこに行っていたのよ」(吉乃さん)だったと社協の相談員が笑いながら話してくれた。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。関連キーワード
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