ロックフェラー後の世界秩序を握る人物(1)
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SNSI・副島国家戦略研究所 中田安彦
デイヴィッド・ロックフェラーが死んだ。101歳。ニューヨーク州郊外のポカンティコにある自分の邸宅のベッドで眠りながら息を引き取ったというから大往生だろう。数年前から極端に外出の回数が少なくなり、ニューヨークの社交界からも遠ざかっていた。この世界最長老の金融家の死が保つ意味は何か、そして今後の世界秩序、とりわけアメリカの外交政策にどのような影響を与えるかを考えてみたい。
私は、このデイヴィッド・ロックフェラーを2回ほど目の前でみたことがある。一度目は、2007年にロックフェラー一族が理事を務めてきた「ニューヨーク近代美術館」(MoMA)のアンテナショップが表参道ヒルズに出来たことを祝うイベントで自著の日本語訳のサイン会を行った時。二度目は2009年にロックフェラーが音頭を取って設立した「日米欧三極委員会」(トライラテラル・コミッション)の東京総会が行われていたホテルオークラのロビーで偶然見かけている。この時私は数人の友人と三極委員会を取材していたのだが、ロビーにいきなりロックフェラーが現れて、銀座にある「天一」という天ぷら屋に予約の電話を掛け始めた。この天ぷら屋はビル・クリントンもお気に入りの店だった。三極委員会の参加者と勘違いされたのか、天ぷら屋の予約が終わったあとに話しかけ、一緒に集合写真を取っていただいた。
デイヴィッド・ロックフェラーというのはどういう人物か。スタンダード石油を設立した、石油王ジョン・D・ロックフェラーの孫にあたる財界人で、慈善事業家だ。ロックフェラーセンターを大恐慌のさなか建設したジョン・D・ロックフェラー二世の息子として、1915年に生まれた。5人の男兄弟の中では末っ子にあたり、ロックフェラー5人兄弟の中で唯一、実業界で活躍した。他の4人は実業界には縁がなかった。一族の遺産を元手にした文化・慈善事業に従事したのが、ジョン・D・ロックフェラー3世やローレンス・ロックフェラー。それから、ニューヨーク州知事や副大統領になったネルソン・ロックフェラー。そしてビル・クリントンを「隠し子ではないか」と言われるほどにかわいがった、ウィンスロップ・ロックフェラー(アーカンソー州知事)がいる。去年の大統領選挙ではドナルド・トランプが圧勝した、石炭産業が盛んなウエストヴァージニア州の選出の上院議員をつとめたジェイ・ロックフェラーはデイヴィッドの甥に当たる。ロックフェラーはもともと共和党員の家系だが、ジェイだけは民主党だった。ゴリゴリの保守ではない穏健な共和党員たちのことをネルソン・ロックフェラー共和党員とも呼んでいた時期がある。だが、ジェイも数年前に引退し、残された一族はデイヴィッドの息子たちも含め、みな慈善事業家として活動している。
デイヴィッド・ロックフェラーは一族の兄弟が(一説には暗殺されたのではないかというほどに)早逝していく中で長寿を誇った。20世紀の後半にアメリカの世界覇権国となる動きと軌を一にして隆盛を誇り、勢いを失っていったようにも見える。これは、極端に単純化して言ってしまえば、デイヴィッド・ロックフェラーが、石油と金融、つまり資源とマネーを支配する仕組みを作ったことによる。
外交問題評議会(CFR)というニューヨークのシンクタンクがある。ロックフェラーを始めとするニューヨーク財界人たちがアメリカの世界支配の戦略を議論する場として、イギリスの王立国際問題研究所をモデルに、第一次世界大戦直後に設立された。ロックフェラー家は第二次世界大戦中からこのシンクタンクを拠点に活動し、自らの資金力を活かし、ニューヨーク金融財界と政界、社交界、シンクタンクなどの学術界をまとめ上げるパトロンとして認知されていった。
戦後の1955年に、現在のJPモルガン・チェース銀行とシティグループの母体となる銀行が合併して誕生した。シティバンクの前身にも一族の影響力は及んでいたが、デイヴィッドは、前者のチェース・マンハッタン銀行の経営陣に加わっている。ニューヨークの大銀行再編を見ていくとわかるが、このころ、アメリカの金融資本界で大きな変化が起き、モルガン財閥がロックフェラー財閥にその王座を譲っている。
アメリカが世界覇権国としての地位を確立したのは、中東からイギリスの石油資本を追い出し、サウジアラビアの王族に対して米軍の軍事力でサウド一族の支配を保障するとともに、その石油取引の決済通貨を米ドルで行わせることに成功したからだ。だから、1971年のニクソンショックによって金本位制が完全に崩壊し、ドル紙幣がアメリカの覇権を担保する時代になっても、世界中に米軍を展開させ、その国力の信用によって世界の貿易の決済通貨としてのドルの地位を確立させたことで、アメリカの世界覇権が揺らぐことはなかった。
ロックフェラーは、先に述べたCFRの理事会やその他のアジア・ソサエティやジャパン・ソサエティといった民間団体を通じ、各国の政治エリートとの関係を作り上げていった。戦後の欧州連合(EU)に至る道を議論したのが1954年に設立された米欧により政策協調のために設立されたビルダーバーグ・クラブで、ここにもデイヴィッドは積極的に関与していった。1970年代には、デイヴィッドは兄ネルソンの部下であったヘンリー・キッシンジャーを自分のお抱えにすることに成功し、ビルダーバーグ会議に似たグループとして、日米欧三極委員会を設立し、日米欧を核にした冷戦時代のアメリカ主導の世界秩序を描いた。チェース銀行は、冷戦時のモスクワに支店を設立したほか、デイヴィッドはソ連のフルシチョフ書記長とも何度も会談している。冷戦時代の隠された話として、敵であるはずのソ連に対するアメリカからの農業機械の輸出支援などの謎がある。
(つづく)
<プロフィール>
中田 安彦(なかた・やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。関連キーワード
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