2024年11月05日( 火 )

ロックフェラー後の世界秩序を握る人物(2)

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SNSI・副島国家戦略研究所 中田安彦

 ドナルド・トランプ大統領やその側近たちが、貿易赤字や知的財産の侵害を行っているとして中国を批判しているが、もともと中国の世界市場へのデビューのきっかけを作ったのもデイヴィッドである。周恩来首相と会談したほか、中国の改革開放の父である鄧小平を文革が終わった直後にアメリカに呼んだ。ロックフェラーはチェース銀行や資本を握る石油企業のために中国に急接近をしたわけだ。「ニューヨーク・タイムズ」が今回のデイヴィッドの死去を伝える長文の追悼記事の中、「チーフ・オブ・ステート」(国家元首)と呼ばれていたという逸話を紹介している。批判者たちからは世界皇帝とも呼ばれていた。去年の選挙でトランプを応援していた、アレックス・ジョーンズというオルト・ライト派のジャーナリストなどは、毎年ロックフェラーがやってくるイベントの前で「グローバリスト(地球支配主義者)を許さない」とメガホンを持って抗議していたものだ。

 ところが、デイヴィッドはそのような批判もどこ吹く風、2002年に出した自伝では「私のことアメリカの国益に反する陰謀家と呼び、世界の人々と結託して統合した世界秩序を作ろうとしていると批判する人たちがいるが、呼びたいならそう呼べばいい。私はそのことを誇りに思う」とまで書いている。ロックフェラーのそのような思想は「国際主義」と呼んでもいいが、一面ではソビエトの国際共産主義とも似通った面がある。マッカーシーによる赤狩りが行われる前のアメリカでは、このような容共主義者がアメリカの資本界にも潜り込んでいた。知的エリートによる思想運動に資本が結びつくことで世界統一政府が出来上がるというある種の「妄想」は、ときの進歩主義という時代の熱病だった。その思想の一部は今もマイクロソフトの会長だったビル・ゲイツや、アル・ゴア元副大統領といった資本家や篤志家によって受け継がれている。

 問題は、それを形だけ真似ようとしたのがビル・クリントン夫妻だったことだ。もともとクリントンはアーカンソー州知事だったウィンスロップ・ロックフェラーと親しく、その縁でビルダーバーグ会議にまで呼ばれて、ジョージ・ブッシュの次の大統領候補としてお墨付きを得た。クリントン夫妻はオバマ大統領同様に「ロックフェラー国際主義」のネットワークが自らの代理人として生み出した大統領なのだが、それはあくまで表の看板であって、本当のアメリカの権力はあの当時はロックフェラーやAIGやゴールドマン・サックス、シティグループといった大金融機関の経営者たちが握っていた。

 クリントンは、スーパーエリートが行っていたフィランソロピー(慈善事業)の世界に入り込み、同時に妻を権力者に立てようとしたことで、エリート層の嫉妬を買った。トランプ大統領がクリントン財団の「不正」を大統領選挙中、告発して回ったが、内心で拍手喝采をしていたニューヨークの社交界の人間は多かったはずである。要するに格が違いすぎるということだ。

 デイヴィッドが元気に活動をしていた頃は後見人としてヒラリーを支えただろう。しかし、年老いた世界皇帝はアメリカにも世界にも睨みを効かせられなくなり、アメリカ政界では不毛な「クリントン王朝」と「ブッシュ王朝」の権力争いが展開されることになった。そこに突如として現れたのがトランプだった。クリントン夫妻は「ロックフェラーに代わって次は自分たちが表と裏の権力を二人で同時に握る」と思ったのだろうが、そうは行かなかった。

 何よりもヒラリー・クリントンが、ブッシュ政権を対テロ戦争、イラク戦争に駆り立てたネオコン派の残党と結託し、アメリカの覇権国家としての地位を危うくする動きとして、プーチンのロシア帝国や習近平の中国に対する強硬姿勢を鮮明にしたからだ。そのことが、世界のどの国とでもビジネスの関係を結びたいと思っていた、アメリカの金融財界の反発を浴びたのである。

 ロックフェラー派に属するヘンリー・キッシンジャーが、共和党の大統領候補の指名を確実にするや、トランプの女婿であるジャレッド・クシュナー現大統領上級顧問を通じて昨年5月18日にトランプと面会したのは、トランプがあれでもニューヨーク社交界の正式なメンバーであったからだろう。宗教保守であったテキサスのテッド・クルーズ上院議員が指名を受けなかったこともあり、キッシンジャーはトランプが「大統領の任に耐えるか」を首実検したわけだ。だから、トランプが大統領になれたのは、反ネオコン派の財界人や軍人たちの強い意志があったからである。その意志を体現していたのが、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平とも昵懇の仲であるキッシンジャーというわけである。

(つづく)

<プロフィール>
nakata中田 安彦(なかた・やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。

 

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