九州古代史を思う~「倭奴国」から「日本国」へ(9)
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「宋書」に出てくる「倭の五王」とは
倭国が再度中国の歴史書の記述に出てくるまでに、しばらく年月を要しますが、420~479年の南北朝時代の南朝の「宋」の正史である「宋書」に「倭の五王」として、日本列島の王者として登場しています。
倭の五王とは、年代順に「讃」「珍」「済」「興」「武」です。皆、それぞれ中国の皇帝の臣下であると自認し、官位を授かっています。長いので省略しますが、「都督」「安東大将軍」「倭国王」などの記述呼名があります。
とくに「武」は、領土を拡大し、宋の皇帝のためになることをなし遂げました。
また、高句麗との戦争で父・兄を失った無念さと自分の功績を述べ、官位を要求し、「使持節都督六国諸軍事安東大将軍倭国王」と、中国より東の領域での軍事の長官に任じられました。高句麗との戦い、新羅との白村江の戦いなどで、古代倭奴国は、戦闘に明け暮れます。しかし、近畿天皇家には、戦闘の記述はありません。「海ゆかば 水漬く屍(かばね) 山ゆかば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」
歴代の倭国王に仕え、共に戦場で戦い続けた、大伴家持の詩に出てくるこの“海ゆかば”の歌詞が物語っています。
現代の辞典で、この歌詞の意味を調べてみると、意味不明の解説が記されています。この大君とは近畿天皇家のことではありません。当然「倭の五王」のことです。(つづく)
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