2024年11月05日( 火 )

まもなく開業1周年 久留米シティプラザの来場者数『水増し疑惑』を追う(後)

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中心市街地活性化の起爆剤と願っていた

 「あーぁ、また、地方に巨大な墓石が立ってしまった」と語る人がいる。久留米市肝煎りの施設を墓石と例えるのは大変失礼な話だが、“普段は人が集まらない”、“年に1、2回しか行く用事がない”、“何かを生み出すことが考えにくい”などの理由から墓石に例えているのだという。久留米市と商工会議所が総力を挙げて開業した施設だが、周辺住民からはほとんど評価されていない。それが現実だ。古き良き時代の久留米を知る人は今回の久留米シティプラザの開業が中心市街地の活性化の起爆剤となってほしいと願っていた人は少なくないにも関わらず、だ。

 戦後まもない頃、久留米の中心市街地は大変賑わっていたという。64年前に開業したKBCこと九州朝日放送は、久留米市六ツ門の旭屋デパートの屋上で誕生した。同地にラジオ局を開設し、福岡市に移転するまでの間、久留米を拠点に活動していたことはあまり知られていない。旭屋デパートはその後、久留米井筒屋に屋号を変え、2009年2月に閉店。そして現在、この地には久留米シティプラザがそびえ立つ。

 戦後の高度経済成長に合わせて、世界企業のブリヂストン、月星化成(現・ムーンスター)、アサヒコーポレーションなどのゴム産業が隆盛を極めたことも、町の活性化を後押しした。駅前の商店街には毎日人が溢れ、1972年、西鉄久留米駅前には久留米岩田屋が完成。人口25万人の旧久留米市は2つの百貨店を構える街となり、戦後から1970年代中盤にかけて、商店街はとくに人通りが多かったと言われている。

 商店街にほど近い日吉町は映画館などが立ち並んでいたことから“文化街”と呼ばれた。街の一角には公園があり、壁画には動物の絵が描かれ、その面影が今でも残る。だが、現在は、夜の街に変貌し、スナックやラウンジなどが入居する飲み屋街となった。時代が平成となり徐々に商店街の人通りが少なくなり、今や昔の面影はない。JR久留米駅、西鉄久留米駅というターミナル駅を持ちながらも、街は衰退する。2009年2月の久留米井筒屋の撤退はその象徴ともいえる事件といえる。だが、人口が著しく減少するわけでもなく、近年は高層マンションも数多く建設され、市内中心部の人口は少しずつ増えているが、それに相反して街が衰退しているというおかしなことが起きている。
 「老朽化した久留米市民会館の移設を急ぐことはなかった」という声が周囲から聞こえてくるなか、なぜこのような事態になったのかを検証することは必要だ。

実際には半分の予算でできたという声もある

 178億5,000万円の久留米シティプラザは、実際には半分ほどの予算でできたという声もある。「東日本大震災により建築資材が高騰、作業員が不足する事態となり、建築コストが高騰することはあったが、あんなに費用がかかる訳がない」と語る経営者もいる。久留米市は水と緑の人間都市を標ぼうしているが、昔から大型の公共工事の建設があれば、市民の意見を無視されて工事が進められる。ただ単に大きな箱を作れば街が活性化するという安易な発想、臭い物には蓋をする行政に加え、一部の利権を食い物にする人たちがいることが町をダメにしているという意見が多く聞かれる。これが皮肉にも周囲の都市から“水と緑の人間都市”“水と緑と文化のまち”ならぬ「水と緑と利権のまち」と揶揄される由縁だ。

 「俺が、俺が」と損得ばかり考える人たちばかりで、町を良くするためにという発想は少ない。「町の発展のために何かをする」といった意思が乏しい。本当に町の発展と活性化のために何かを成す場合は、市民目線で行われるようでなければ、本当の町の活性化は起こりえない。それを前提に考えて行かなけば、何をやってもうまくいくはずがない。
 博多商人が歩いた後には銭が落ちているが、久留米商人が歩いた後にはペンペン草も生えない、と揶揄されるほどのセコイ性分を以前から嫌というほど聞かされてきた。昔、久留米の街の活性化のために大規模なイベントを実施した人が、「次はやりたくない。やってたまるか」と憤っていたことがある。目立とうとすれば調子に乗るなと怒られる。出る杭は打たれるから周囲はみな黙りこむ。「俺はヤクザや警察を知っとるとぞ」と威嚇して、黙らせる厄介な人たちもいる。

 今から10年ほど前、久留米の商店街の再開発に積極的な市外の会社があり、商店街をアウトレットモール化する構想を発表したことがある。しかし、これもうまくいかなかった。映画館がなくなったので、映画館を作る、街が盛り上がるために何をすればよいか!と久留米のために真面目に考える人たちはたくさんいた。しかし、周囲の協力を得られなかったのだ。町の活性化のために何かをやろうとする人がいれば足を引っ張り、邪魔をする。「久留米でイベントとか企画しても何の意味もなか」と諦めている人たちの声はこの街の現実を物語る。
 「久留米で商売をしていた人が、この地に嫌気がさし、福岡市に拠点を移した人もいる。久留米は何をやってもうまくいかない。だが、生まれ故郷だからそう簡単に捨てることはできない。多くのことは望まないから、とにかくこれ以上、悪くならないようにしてほしい」と切実に語るのは久留米市内のとある経営者だ。

 178億5,000万円の巨額の税金を使って作られた久留米シティプラザ。もうできてしまった施設をどうこういうことはできない。だが、施設運営で赤字にしないことが絶対条件で、施設運営者の責任でもある。初年度から赤字ならば、もっと来場してほしいと市民にお願いすれば良い。だが、もし、来場者数を水増ししているのなら、早急に改めるべきである。
 久留米シティプラザは最低でも黒字化し、市民サービスに影響がでない状況を作ることは当たり前のこと。汗水垂らして稼いだお金から税金が支払われることを久留米市民はもっと考えるべきだ。自分たちの税金の使い道に関心を持たなければこの利権まみれの現状を打破することはできる訳がない。久留米シティプラザが市民の財産になるのか、それとも負担になるのかは運営する市はもとより、“スポンサー”でもある市民一人ひとりの行動がとても重要なのだ。

(了)

 
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