2024年11月13日( 水 )

あえて言おう、「小選挙区制度は日本の政治を焼け野原にした」(2)

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SNSI・副島国家戦略研究所 中田安彦

 ただ、この政治の「二極化問題」はもっと突き詰めて根源を探る必要がある。結論から先にいうと、世論が二極化する最大の原因は、現在の選挙制度にある。衆議院議員は、295ある全国の定数1の小選挙区で議席を争う、「小選挙区比例代表並立制」によって選ばれる。つまり、二人以上の候補者が争う小選挙区で多数を獲得した候補が当選する。ただ、接戦で負けた候補は惜敗率に応じて、各党が比例代表ブロックで獲得した議席数によって、比例復活するという救済制度がある。この選挙制度が根本的に日本の政治を変えてしまった。

 小選挙区制はかねてから自民党で導入を求める声があったが、それを本格的に実現しようと動いたのが、1993年に『日本改造計画』(講談社)を発表した小沢一郎(当時自民党、91年まで幹事長として剛腕を振るった)だ。この著書の発表の後、小沢元幹事長が自民党を割って、「政権交代可能な二大政党制」を実現するために自民党に対抗する野党の連立政権を樹立した。これが日本新党の細川護煕を首班とする連立政権だった。一つの選挙区から複数人(概ね3人から5人)を選ぶ中選挙区制に代わり、1996年から現在の小選挙区比例代表並立制が導入された。

 小沢は公明党を新進党に組み込むなどさまざまな策を用いて二大政党制の実現を目指したが、連立政権の足並みの乱れや、自民党が社会党を連立に組み込む奇策などの経緯を経て、今度は小沢の自由党が自民党と連立を組むなど、さまざまな紆余曲折を経ている。2001年に自民党には小泉純一郎が登場し、03年には菅直人の民主党と小沢の自由党が組んでかろうじて自民・民主の枠組みができた。05年には郵政選挙で小泉が大勝、09年には世界金融危機のあおりをうけて民主党が圧勝し政権交代を果たしたものの、鳩山政権は8ヶ月で崩壊、東日本大震災と原発事故を受けて日本の景気がどん底に陥っているさなかの2012年の総選挙では安倍自民が経済再生を唱え、野党の分裂を利して圧勝。2年後も同様に圧勝し、今に至っている。

 現在、衆議院は、総数が475のうち、自民(293)公明(35)民進(96)維新(15)共産(21)社民(2)旧生活・自由(2)無所属・欠員(11)となっている。自公で328、事実上「与党」の維新を加えると343であり、無所属議員のなかには事実上与党という議員もいるので更に多くなる。野党勢力は、121程度である。与党側は衆議院の3分の2、316議席を優に超えている。野党の支持率は低迷しているので、次の総選挙でも共産党との野党共闘を入れても与党を過半数割れ237議席以下に追い込むは難しいだろう。しかし、自公の選挙協力がなくならない限り、野党共闘は野党が与党に影響を与える政治勢力として生き残るための必要な道である。

 実は議会制度の先輩国であるイギリスでも、日本の自民党に当たる保守党の優勢がここのところ続いている。日本の民進党のような10%を切る支持率ではないにしても、直近のある世論調査(ユーガブ社の3月下旬の調査)では保守党43%に対して、労働党は25%の支持率と差はついている。議会では総数650で保守330、労働232、日本の維新の会に相当する地域政党スコットランド独立党54、日本の自由党と政策が似ている自由民主党8などとなっている。労働党が急に左旋回したことにより支持率は伸び悩んでいる。「きちんと機能する野党がなくなっている」として、イギリスの「エコノミスト」は、昨年、Britain’s one-party state(イギリスの一党国家)という特集を組んだほど二大政党制の危機が叫ばれている。日本だけではなく「政権交代可能な二大政党制」はイギリスでも壊れ始めているのだ。しかも、日本の場合、小沢一郎が2012年に民主党の党内で権力闘争を自ら起こしてしまい、自分の子分を引き連れて大量脱党するという二大政党・小選挙区制の趣旨からありえない行動を取ってしまっている。

 政治学者の中北浩爾・一橋大学教授の『自民党政治の変容』(NHK出版)に詳しいが、小選挙区制を導入することは、岸信介が首相だった時代から、「自民党の近代化」問題として議論されてきた。よく言われるように、一つの選挙区で3人以上の当選者が出る中選挙区制では、自民党が与党であるためには複数の議員を当選させる必要があった。そのために自民党の派閥ごとに公認候補をたてて、強力な個人後援会を単位として自民党内で競争を行わせていたのである。自民党は常に多数派になり、しかし社会党を始めとする野党を全部足せば、憲法改正に必要な3分の2議席には与党単独では到達できないようにする仕組みともいわれた。小選挙区制導入の導入は党の近代化と言われたが、党の公認が選挙区で一人になることで、派閥ではなく、総裁や幹事長など党本部の権限を強くする狙いがあった。この流れは、05年の小泉郵政選挙で自民党が大勝したことで「完了」したといえるだろう。

(つづく)

<プロフィール>
nakata中田 安彦(なかた・やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。

 
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