2024年11月24日( 日 )

さまざまなセーフティネットを知ろうとしない高齢者(後)

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大さんのシニアリポート第54回

 先日、久しぶりに常連の鎌本(仮名)さんが入亭された。開口一番、「元気になったので、預けておいた鍵を返して欲しい」という。鎌本さんは、今年1月から2月にかけ、救急搬送された2件の事例の1人。合い鍵がないばかりに救出に手間取り、容態を悪化させた。「ハッピー安心ネット」の話をしたものの興味を示さなかった。1本の鍵の有無で救出に手間取ったのだ。そのとき関わったスタッフや常連客の、「仲間を救出したい」という“熱い思い”を私は忘れない。にもかかわらず回復し、健康を取り戻せば鍵の返却を求める。鎌本さんは、数カ月前の“悲劇”を忘れたとは思えない。いいにくいのだが、それほど遠くない時期に、再び救急搬送されることになるだろう。そのとき、(自分の意思で)「ハッピー安心ネット」に加わらなかった人に、前回のように“熱い思い”で救出にあたる仲間はいないような気がする。
 それにしても「公的な見守り(救急医療情報キット)」にはそれなりの反応を示すものの、「私的な見守り」に関しては見事に関心が薄いのは何故か? 元気な人にとって、救出までの流れをイメージしにくいのだろうか。他人(顔見知りでも)が入室されたり、鍵を預けることに抵抗感があるのも事実。そういいながら、一方で「ぐるり」の常連さんの話題の大半を占めるのが病気の話。病名とそれに関する知識の豊富さにうっとりとした(自慢げな)表情する。「病院の格付ランキング」には熱いものさえ感じられる。なのに、「互いに見守り合う」という身近なシステムには無関心なのだ。他人事として考えたいのだろう。

胸から下げた「救急通報システム」。ボタンを押せば救急連絡所につながる

 平成24年2月22日の朝日新聞に、埼玉県さいたま市のアパートの住人男女3人が遺体で発見されたという記事があった。男性は一度生活保護を申請したものの、却下。二度と役所に出かけていくことはなかったという。平成27年3月27日の同新聞に、千葉県銚子市の県営住宅で母親が、生活苦による家賃滞納で県営住宅退去を迫られ、行き詰まったあげく、一人娘(当時13歳)を窒息死させたという記事。県住宅課は、「事情のある方には相談にのる」と文書で通知していたものの、相談に来なかった。生活保護の担当窓口にいたっては、支給の判断に関わる収入と預貯金の額について「未聴取」、つまり聞いていないという。前者は公的機関の不適切な対応。後者は、いわゆる公務員の「不作為」(当然なすべきことをあえてしないこと)が原因。両者に共通していることは、受給者側の“諦観”である。社会保障費の抑制を念頭に置いてサポートする行政の窓口が、積極的に受給を勧めるとは考えにくい。何度もこちらから出向いて窮状を訴えるしかないのだ。公的な機関には多くのセーフティネットがある。しかし、それを声高に通知することはほとんどない。

 公的なセーフティネットには、例えば社会福祉協議会などが主催する「フードバンク」がある。連絡すれば食事(多くはレトルト食品やパンなど)を配達してくれる。生活資金の提供(少額だが)もある。医療費が支払えないなら、「無料低額診療制度」という救済制度がある。所得が少ない人が病気や怪我で受診したいとき、医療費が無料になったり、安くなったりする制度。年間延べ700万人が利用(平成26年)している。ほかにも多くの救済制度がある。ただしセーフティネットを知らなければ、サービスを受けることができない。それには最低限、「知る」という自助努力が必要だ。しかし、その自助努力を怠る。公的な機関と来亭者の仲を取り持つのが「ぐるり」の使命だという自負心がある。実情は前述のとおり、手作りの「見守り」すら利用する人は少ない。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
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