2024年11月22日( 金 )

呉・大和ミュージアム視察レポート(前)

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 広島県呉市には、旧海軍の重要な戦略拠点として地方司令部にあたる「呉鎮守府」がおかれ、また当時「東洋一」といわれた造船所「呉海軍工廠」があった、まさに軍都とよべる土地だった。1945年6月の呉空襲で大きな被害を受けたことでも知られる。戦後海軍が解体された後は、民間の造船所として今日までさまざまな民間船舶を造り続けている。
 軍事産業から造船業という、いわば日本の戦中・戦後から高度経済成長期の花形を演じ続けてきた呉。重厚長大産業の退潮とともに衰退の淵に迫っていたが、近年、観光客の姿が急増している。その中心となっているのが、「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)である。
 大和ミュージアムは、呉の観光と経済にどのような影響を与えているのだろうか。視察に赴いた。

 広島駅からおよそ30分。海際まで山が迫る車窓を楽しみながらの小旅行を終えると、列車は呉駅に到着する。人口22万人余りの都市の中心駅としてはやや小ぶりな駅舎から、大和ミュージアムまでは徒歩通路が直結している。

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 呉は、おおまかにいって北西から南東にかけて走るJR呉線を境に、山側が戦前からの市街地、海側が造船を中心とした工業地帯という住み分けが成立している。かつて呉鎮守府や呉海軍工廠があった時代は、旧市街地は大いに栄えたという。現在、駅の山側にはその面影はない。かつてはそごう呉店が営業していたが、2013年に閉店。建物はそのまま空き家の状態だ。
 しかし、そごう呉店の閉店は呉の経済的沈滞を意味するのではない。呉の経済的中心地が海側に移動したことがその主因だが、それを促したのが大和ミュージアムの誕生である。

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 呉駅を出た通路は、ショッピングセンター・ゆめタウン呉に吸い込まれていく。通り抜けていいものかと迷うが、店内には大和ミュージアムとてつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)への行き先案内表示がある。店内を通り抜けるのが正式ルートなのだ。直接的にそごう呉店の閉店を招いたのは、ごく近隣にできたこのゆめタウン呉に客を奪われたためだと見てよいだろう。訪れたのが土曜日ということもあり、店内は家族連れと観光客でごった返していた。

 ゆめタウン呉の店内を抜け、海側に出ると目の前に巨大な潜水艦と赤いレンガ色の建物があらわれる。潜水艦がてつのくじら館、そしてレンガ色の建物が大和ミュージアムだ。大和ミュージアムの屋外には、呉港で原因不明の爆発事故を起こして沈没した戦艦陸奥の主砲、旗竿、碇などが展示されている。

(つづく)
【深水 央】

 
(中)

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