【インタビュー】「博多人形師 三代百年の伝承」(前)~中村人形三代目・中村信喬氏
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昨年12月にユネスコの無形文化遺産に登録された博多祇園山笠の季節が到来した。7月15日までの期間中、福博のまちは、博多の人形師たちが意趣を凝らした舁き山笠、飾り山で活気づく。その山笠の制作を手がけてきた博多人形師の一人、中村信喬氏((株)中村人形)は、博多人形のみならず、国内外で個展を開催するなど幅広い活躍で知られる。昨年は、4月にオープンした商業ビル「KITTE博多」前のエンジェルポストや、福岡空港国際線ターミナルに飾られたライオンズクラブの記念モニュメントを手がけ、今年は、息子の四代目・中村弘峰氏が、舁き山笠(土居流「決戦大江山」)の制作でデビューする。中村信喬氏に、次世代に受け継ぐ、博多人形師の作品に込める想いについてうかがった。
仕事の鬼となり、最高のものをつくる
――福岡国際線ターミナルの3頭の金獅子(画像)は、エキゾチックでとても迫力のある作品です。海外から来られる方も福岡に国際色豊かなイメージを持つのではないかと思います。中村さんは、国内外での個展にも力を入れておられ、その作品が認められ、ローマ法王にも謁見されていますが、人形師として、どのような活動指針を持たれているのでしょうか。
中村信喬氏(以下、中村) 博多の人形師の原点回帰だと考えています。私たちは、土の人形だけでなく、木の人形、大きな彫刻、それから選定技術者として、富山県の城端曳山祭(じょうはなひきやままつり)の山車で使う350年前の木彫の人形や、被災した熊本県立美術館の人間国宝・平田郷陽氏の人形作品「凧」と「髪」を修復いたしました。
古来より、国際貿易都市であった博多は、豪商たちによる貿易とともに世界の文化・技術が入り、それを形にして輸出をしていました。私の祖父は、依頼を受けて、いろんな造形物の原型となる彫刻を造る原型師でしたが、祖父が手がけたヨゼフ像はヨーロッパにたくさんあります。私たちが今、やっていること、福博から世界に発信していくことは、江戸から明治、大正、昭和と続く博多の人形師たちがやってきたことなのです。また、日本の文化を海外へ伝えるとともに、その地で勉強した文化を日本にもたらすということも大切だと考えています。
――今、さまざまな分野で後継者問題が起きていますが、そうしたグローバルな活動に憧れて入門するお弟子さんも多いのではないですか。
中村 中村人形は、私の息子が四代目として後を継いでおり、五代目の男の子(孫)も生まれています。また、ほとんどのスタッフが、うちの息子の年代よりも下の若い人たちです。しかし、憧れから人形師になろうという人はなかなかいません。今の若い人たちは、長い間、修練を積もうとするのではなく、ちょっと作れるようになれば、すぐに自分たちでインスタグラムやフェイスブックといったSNSを利用して発表し、海外に行こうとします。長いこと、苦労しようという人たちがいないんですね。ですから、底が浅いうえに、同じような考えの人たちがたくさんいるから、結局、同じようなものばかりになる。すると、目が肥えている人たちには通用しません。海外だから日本のものが必ずしもうけるとは限りません。本当に良いものでなければ。
どの業界も同じだと感じていますが、たとえば飲食業でも、少し店に勤めて、少し技術を覚えたら、借金してでも店を出そうとする。企業でも起業して、すぐに破綻するところがあると思いますが、やはり、長い時間、1つの企業に勤めて、自分の顔も知られて、商売のこともわかって、そこの社長から「もう独立してもいいんじゃないか」と言われるようになってから独立すると伸びていくのではないかと思います。
――たしかに、まずサラリーマンとして勤め、仕事を覚え、顧客のなかに自分のファンを作ってから独立されて立派な会社を作られている経営者の方も多数いらっしゃいますね。
中村 長く美味しい店は、ずっと努力を積み重ねていますし、少し味が落ちれば客が来なくなります。世間の目は厳しいですから。山笠でも出来が悪いとダメですね。見比べられて、腕のいいところに仕事が来ます。たまたま良いのができても、その次の年がダメなら「腕が落ちた」といわれます。
私の祖父が遺した代々の家訓は、「粗末な粥を食ってでも良いものを作れ!(Create great work even by eating meager rice porridge!)」です。その言葉とともに描かれた鬼のマークは、仕事の鬼になり、技術と材料、その時代の何を使ってもいいから最高のものを作るという意思を表しています。頼まれた以上のもの、その土地にあったものをつくる。KITTE博多前のエンジェルポストや、福岡空港国際線ターミナルの金獅子のモニュメント、福岡市動物園の「座れるゴリラの彫刻」は、その想いでつくりました。
(つづく)
【聞き手・文:山下 康太】<プロフィール>
中村 信喬 (なかむら しんきょう)
1957年、福岡県無形文化財である二代目・中村衍涯(えんがい)氏の長男として福岡市に生まれる。79年、九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻(木彫)を卒業。80年、父の病気にともない家業を継ぐ。陶芸家・村田陶苑氏、重要無形文化財保持者の人形師・林駒夫氏、能面師・北澤一念氏に師事。天正遣欧少年使節団を主題とした人形づくりに取り組み、2011年には、ローマ法王に謁見し、人形を献上した。作品・受賞歴は多数。日本工芸会理事。今年(2017年)の山笠では、中洲流の飾り山(見送り)「本能寺の変」、天神一丁目の飾り山(表)「福徳七福神」を制作。HP:http://www.shinkyo-nakamura.jp/関連キーワード
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